ウキアシタタズ

頑張れたことを頑張って書きます

双子と謝罪

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はじめに

いつもどうでもいいことを書いてはいるが、今回のはもう本当にどうでもいい。タイトルを説明すると、双子が親友だったら、きっと私の青春も一味違うものになっただろう。という内容だ。


① 残像だ

いや本当に下らな過ぎて申し訳ない。でも空想の中くらい私は、双子とじゃれ合いたいだけなんだ。

で、残像だ。ってなんだよって話ですが、

双子の片割れを殴るとする。(暴挙)

当然片割れは吹っ飛ぶのだが、ニヤリと笑われる訳。もう始まってんだよね。(関)


「残像だ」

 

私は振り返る。いまこの拳で捉えたのはーー。なんで、ヘラヘラ笑ってやがる。余裕をみせる目の前の男に再度拳を固める。


「もう1度言う。残像だ」

殴ったはずの男と同じ顔のそいつを俺はーー。


ってのをやりたい。


②真面目にテストとかを切り抜ける方法を見つけたい

双子と言えば誰もが考えるだろうが、替え玉受験だ。文系はA君が担当するとして、理系はB君がやる。みたいな。勿論能力も同じ方向に偏るだろうから、勉強だけ分担して、勉強した分をそれぞれが担当するようにすればいい。そんで失敗する。二人とも文系が得意だから、B君が点数悪かったりする。

そしてファミレスとかで3人の反省会を開く。転生したらそういうのがいい。あるいは石油王。

 

③見分けがつくようになりたい

当然、今ここで話している双子というのは、一卵性…すなわちそっくりの2人であるのだが、そんな2人の見分けがつく男で私はありたい。

学校などで、顔を間違えられてしまう彼らだが、私には分かる。双子と言えど、少しの違いがある。だからこそ、「2人でセット」ではなく「個人として」彼らと接することが出来る。

出席確認では、必ずA君はB君の番で返事をする。悪戯っぽく笑うA君と、それを諭すようなB君。つられて私にも笑みがこぼれる。

そんな青春を(ry

 


おわりに

書いて、読み返して、投稿するか迷うくらいにどうでもいいし、生産性もない。双子の知り合いもいなければ、本当に双子の親友がいる人間のエピソードを聞いた訳でもない。

これはただの空想で、ただそれでも「あったかもしれない」青春の話ーーーーー。

 

大変申し訳ございませんでした。

(おわり)

猫のいる日常

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以前こんな記事

猫がいる日常を思い描く私の日常 - ウキアシタタズ

を書いた訳だが、まさか本当に猫が来るとは思わなかった。猫も想定外なんじゃない?(適当)


産まれて2ヶ月のこやつを里親として引き取って、2週間が経った。そろそろ私の日常足りうる存在になったと思ったからこそ筆を取った次第だ。


経緯

猫を飼うよ、という風潮が家の中で漂い始めてから母の動き出しは早かった。毎日のように里親募集サイトを漁っては、先に取られただの、何だと一喜一憂を繰り返していた。

そうして見つかったのがこやつだった訳だが、里親として引き取りに行ったのは岩手の辺境であり、私も同伴することになった。


最初に出会った印象はそうだな…

 

 


可愛い…ッ!

 


可愛さの圧倒的暴力である。鳴き声、ルックス、佇まい…。どれをとっても非の打ち所のないものだった。Excellent!(ここ読み返すと金持ちの奴隷商人みたいで嫌だと思った)


ニャーニャー鳴いてるこいつを引き取ってから、猫のいる日常は始まりを告げるのであった。


猫という生き物

私は以前の記事で書いたように、猫というのは自由奔放で、仮に人間にしたらそれはもうとんでもない奴なんじゃないかと思っていた。

だが存外、そうでもないことに気付かされるのは、世話をはじめた頃からである。


まずトイレは何も教えてないのに出来るし、1度ダメだと教えればもうやらないし、利口なのか従順なのか分からないが、世話がしやす過ぎる。勿論、猫特有のつれなさ、みたいなものはあるが、それはいわゆるツンデレーションであって、私含め家族はそれを甘んじる所か歓迎して享受している。


親バカ、という言葉もあるし、自分がそうでないことを論理的かつ客観的に皆さんにお伝えすることは出来ない。だが、最も顔をしわくちゃにしてるのは父母であり、私ではない*ことをここに明記しておこうと思う。

※諸説あり

ちなみに1番懐いているのは多分私か妹で、何かとちょっかいを出してくる。


コミュニケーション

私は動物と気持ちのやり取りをする時のツールは「言葉(あるいは鳴き声)」だと勝手に思い込んでいた。しかし実際に接してみると、

尻尾の立ち方なり、振る舞いだったり、喉を鳴らしたり、と猫の感情を読み取る手段は多岐に渡るということに気付いた。


猫の知性について調べると、

「人の感覚で知性レベルを決めることそのものがまず出来ないし、それ故に難しい」


みたいなものを見つけたのだが、以前の記事で「赤子と変わらんわ」と豪語していた私は、そもそも人と比較するのがナンセンスなのだと思い知った。


人同士でも、「他人は他人」の方がストレスなく過ごせるように、「人は人、猫は猫」と考えた方がお互い気持ちよく過ごせるのかもしれない。


…まだ猫との日常は始まったばかりだ。


にゃんにゃん。

(二番煎じかつ古いタイプの萌えキャラの模倣)

 


(おわり)

チェーン!チェーン!チェーン!

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さて、前の記事

深夜2時、夜行バス。 - ウキアシタタズ

を経て、私は今福井の小浜というところにいる訳だが、中々いい雰囲気が漂っている。観光地ってこともあるし、海も近くて二週間の免許合宿も楽しく過ごせそうだ。

 

しかし、見知らぬ土地、人、店…と不安になる要素が付きまとうのが旅だ。(これ旅じゃないけど)特に飲食店周りなんかは、当たり外れもありそうで、食べログで石橋叩きながら散策をするというのも、私に限らず、今当たり前の風景になっている。

また、「せっかく旅先なんだから、ここにしかないもの食べようYA!」という論調もあり、チェーン店などはその理論の対極にいる訳だが、私はあえて言いたい。

 


チェーン店を甘く見てはいけない。

(某保険のCM風)

 


まぁ言いたいことは分かる。美味いもん食っとけと。だがなぁ、毎日A5和牛じゃあ飽きちまうだろう?(乱雑な例え)

 

チェーン店というのは、いつどこで食べようと変わらない味である。「変わらない味」という要素を持つもの…それはおふくろの味である。


めちゃくちゃなことを言っていると自分でも思うが、言いたいことはつまり「安心感」がチェーン店にはある、そういうことだ。そういうこと。


人の感覚とは不思議なもので、過去に似たような匂いや景色を見ると、今と重ねたり、リフレインすることがままある。それは過去への「立ち帰り」だと私は思っている。


味覚もまた、例外ではない。チェーン店でも「立ち帰る」感覚があるのなら、旅先という不安の渦中でもある意味で寄る辺になりうるのではないか。


「あぁ!これこれ!この味だよ!」とチェーン店で言うのは余りにも馬鹿馬鹿しい台詞だが、そう思いつつも、無意識に私たちは「立ち帰る」安心感を探しているのかもしれない。故意か否か、チェーン店は全国で増殖しながら、そのニーズに応えていく。


そんなことを、コメダ珈琲でたっぷりブレンドコーヒーを飲みながら思うのであった。ウメェなこれ!(悟空)

(おわり)

深夜2時、夜行バス。

カーテンの隙間から等間隔に光が流れて行く。目を瞑っても開いても、大して変わらない景色の中で、もう眠気がくることはないと何となく予感していた。


姿勢を変えることは許されず、出来ることといえば、こうして考えていることをなぞらえることと、眠気がくることを淡く期待することしかなかった。


何度繰り返したかもう憶えていないが、これからどうするかを考える。

私は今、福井に向かっている途中で、今どこにいるかは分からない。降りなければならないのは敦賀という場所で、そこから始発の電車に乗り小浜駅に行く手筈だ。


目的は、そう…免許を取りにいくんだった。

学生のうちに取ろうと思っていたのが、金銭やら時間を盾にして後回しにしたツケが今回ってきたというわけだ。自分らしいといえば開き直れるが、他人が聞いて印象の良いものでもないことはそれとなく家族の反応を見て分かっていた。


免許合宿というものがどういうものか、十分に理解しているとは言い難いが、その場に行って適応するくらいの度胸というか、肝の座り方が運転にも必要なんだろうと、一人で納得した。


風を切る音と同時に景色がオレンジ一色に変わった。トンネルだろう。鼓膜が締まっていくのを感じながら、次の休憩はいつだろうか、また考える。


休憩所も、目的地も、そして何よりまどろむことが一番遠い、それが夜行バスだと、何度乗っても思い知らされるのであった。

(おわり)

深夜のコンビニと蛾

人それぞれに好きな景色がある。

空とか、海とか、夕焼けとか、世の中にはそこに在るだけなのに人間の情緒をくすぐるものがあるものだ。

 

私にも好きな景色がある。

深夜のコンビニだ。あの人工的な明かりに安心感を覚えると言えば、変わり者扱いを受けるかもしれない。

 

今では当たり前に深夜に出かけることもあるが、幼い頃にそんな時間に出ることは稀で、

時たま父に連れられて言った深夜のコンビニは、昼には見られない独特の雰囲気があったのを覚えている。そんな経験が今も引きずって、「好きな景色」と言わしめるのかもしれない。


旅をした時もやはり拠り所になったのは、コンビニで、何時間も歩いて暗くなり、宿の目処もついてない。そんな時にアスファルトを照らす24時間営業の灯りを見ると、どうしてか用もなく入ってしまう。


夜の闇と灯りの間に立って、缶ビールを仰ぐ。若干200円、いやそれ以上の幸福がそこには確かに存在するのだ。


…最近、そんな話をした。

 

 


「先輩、蛾みたいっスね!!!!」

 


……そりゃないだろ。

(おわり)

 

Tカードを握りしめて通ったあの日を忘れない

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はじめに

 皆さんが好きなアーティストと出会ったのはいつでしょうか。また、何がきっかけだったのでしょうか。CMソングや映画の主題歌、人から勧められて…。音楽は日常に溢れてるから、探すにこと絶えません。


今はApple Musicとか、Spotifyとか、好きなアーティストをdigっていくのは割と容易い時代になりました。

 でもですね、そういう音楽サービスってある意味で自分の聴く音楽の幅を狭めてる(偏る)一面もあると思うんです。

 

Twitterでよく言われることですが、

「同種、あるいは自分の好みの情報でしか構成されないことで、それより広がりがなくなる」というものがあります。

要は自分好みのフォローしかしないから、タイムラインで得られる情報も偏る。

ということですね。


これと構図は似ています。音楽の聴き方なんて千差万別なので何が正しいかをここで書くのはナンセンスですが、「色んなアーティストを知りたい」と思っている人にとっては、これから書くことにも少しは共感して貰えるかもしれません。

 

中学生、TSUTAYAに立つ

私が初めて音楽を主体的に探しに行ったのは丁度中学生の頃でした。場所はTSUTAYAです。当時はワンオクのCDが借りたかったわけですが、逆を言えばそれ以外に目当てのアーティストはいませんでした。

しかしここで思い出してほしい、TSUTAYAのレンタルシステムを…。

 

「アルバム五枚で1000円」

 

これである。一枚だけ借りるのは勿体ない…。かといって、知っているアーティストもいない。くそっ…。そこで私が取ったのは…

 

「目を瞑ってアルバムランダム選択」である。

 

 

当時は苦し紛れの手段でしたが、今思うと音楽の出会い方としては、なかなか斬新なアイデアだったのではないだろうか。ちなみにその時出会ったのは、

androp

ELLEGARDEN

10‐FEET

(もう一つは忘れてしまった)

だったので、かなり当たりでしたね、今考えると…。

 

あの時出会ったアーティストは今でも聞いていますし、私の中の「音楽」を形作ったといっても過言ではありません。勿論、ランダムだからこそ、自分の望まないモノが来ることだってありますが、「たまたまだからこそ」良曲、良アルバムと出会えた時の感動もありますし、未知のアーティストを知ることが出来るチャンスにもなると思います。

 

音楽配信サービスも当たり前になってきた時代、TSUTAYAなどのレンタルサービスは下火になっています。別にレンタルサービスの肩を持つわけではありませんが、音楽というジャンルで支えられていたサービスがなくなってしまうと考えると、少し思うところもあります。

CD借りて、お金払って、取り込んで…

面倒なことも多いCDレンタルですが、「便利さ」だけのサービスにはないものも私はあると思います。たまには、借りてみるのもいんじゃないかな。

(おわり)

 

 

飲み初心者なりのBARのすゝめ

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はじめに

学生というか、20歳になって間もなくやりたくなることと言えば、酒を飲むこと。

少なくとも私は当時凄く飲酒に期待していました。


でもね、若者の財布に適しているというか、世の中には居酒屋が溢れかえっている。故にだんだん慣れてくると、飲める酒と言えるものはあっても、嗜める酒というのはあまりないのではなかろうか。

これは身近な体験だが、歳を取るにつれて、焼肉の食べ放題に対するスペシャル感」は失われていく。少なく美味しいものが食べたくなっていく。大人になるにつれて、量から質へのシフトがなされていく。

これは飲み放題にも言えることで、「2時間制」というお得感は、回数を重ねる度に飽和していく。

だからこそ、どうせ飲むなら、たまの1回くらい高い酒で満足するのはどうだろう。ということが今回の趣旨だ。

高い酒って何だよ、という話だが、これは別にとんでもないお金をかければ良いと言う話ではない。

単純に質の高いものを飲みましょう、という意味だ。(当然価格も上がるけど)


次はどこで?ということだが、やはりバーに1度行くことを強くお勧めしたい所存。

 

立ちはだかる壁
そうなると壁になるのが敷居の高さだ。

薄暗い店内、恐らくいるであろう常連、酒に対する無知への恐怖、そして価格への懸念…

店内、常連に関してはもうこれは慣れるしかないのと、味方に出来ればもっと通うのが楽しくなる要素であるため、対策を伝えて身構えさせることはここではしない。

では、知識量についてだ。基本的に無くても問題ない。バーテンに

「こういう所来るのはじめてなんです」

と言えば好みを聞いてくれた上で、ちゃんと出してくれるので、正直に言おう。

最小限でも前知識アリで行きたいのなら、別にカクテルの名前を知らなくても、好きなリキュールや飲み物をハッキリ抑えておき、それを伝えれば問題ない。


中途半端なのが一番ヤバイぞ


では、金額についてだが、

ざっくり私の住んでる東京(勿論都心でない)だと、一杯800円くらいだろう。チャージ代が500円くらいなので、3杯飲んだら1回の居酒屋飲み放題くらいだろうか。

もう金銭感覚の問題だが、このくらいなら出せるっていうギリギリのラインな…気がする。

 

この辺踏まえて「行ける!」と思う人は是非足を運んで見てほしい。1人がしんどければ2人でも。


じゃあ何を飲むか

当ブログを読んでいる賢明な読者のみなさんなら、私の味の好みは知っていてもおかしくはない。その上で信用するかは…お任せしよう。

基本的に私はアマレットというリキュールが好きで、お店に行けば毎回は頼んでいる。杏の核が云々だとか、説明は省くが、杏仁豆腐みたいな味と香りを想像して貰えば、感覚としては近い。

アマレットを頼むのであれば、ジンジャエールで割るか、あるいはミルクでもいい。柑橘系が好きならオレンジジュースを加えて、「ボッジボール」でもいいだろう。

 

いつ(どのくらい)行くか

今でしy…とは言わないし、普通にネタが古い。割と価格も張るので、かく言う私もポンポン行ってる訳では無い。

多い時は週一、少ない時は月に1回。

 

ちょっと背伸びするくらいが、いいのだ。

こんな記事を書いている私も、つま先立ちなんだから。ギリギリのところで地に足つけてるわけでごぜぇます。(突然のタイトル回収)

 

ここまで散々ウンチクを垂れていたが、私のおすすめを飲んでほしい、というよりは、みなさんには「好きなカクテル」を1つ持ってもらったら嬉しい、という気持ちが強い。なぜか?そりゃあ…

 

 

 

 


理由:かっこいいから

 


それが全てである。(おわり)