社会人とR-18
たまたまタイミングが被るから、タイトルも世間の空気を読んだ。と、読んで貰ってそう思って頂けることを願う。
4月1日に元号が決まり、同時に私自身の社会人としての生活も始まる。
令和、れいわ、と口に出す。
この響きには何故かもう慣れを感じる。別に元号そのものがダサいとか、かっこいいとか、そう考えるのはナンセンスだと思うのだが、慣れやすいという面で捉えれば、私個人的にはこの元号の第一印象は少なくとも悪いものではない。
また、アルファベットで表記すれば「R」になるわけで、18年後に生まれた子どもは赤子にしてR18になるのだと下らないことも思った。令和生まれが18歳になった時に、R-18という条件も満たすんだな、という小さな発見をここで共有しておきたい。
多分元号がイケてるか否かを考える輩よりナンセンスだと思う。
これから、平成生まれは「最新」でなくなるし、昭和生まれは「もっと前の時」になる。(失礼)自分に立ち返って考えると、何となく平成の人間であることが、世代で言えば新しい人、という認識をしていた。
しかし、この元号が変わることと、加えて社会人としてスタートすることも相まって、自分は一つ前の世代になったとストンと腑に落ちた。
世代にも色々種類があって、私はそもそも「ゆとり」とか「団塊」とかそういうもので人を括ることは嫌いな方ではある。ただまぁ、元号というレベルでみると、社会人になったタイミングであることも踏まえて、世代が変わった、という自認は丁度良かったのかもしれない。
社会人になって、後輩なり部下が出来て、
「おお、令和生まれか!」
という感想が出るのはこれから20数年後にはなるのだが、何故か早くこのセリフを口にしたいと思う、我ながら苛立つほど生意気で、野心(?)溢れる新卒の私であった。
(おわり)