ウキアシタタズ

頑張れたことを頑張って書きます

歩いてる途中で考えていたこと①

 

旅をした話をして、よく聞かれることがあります。(先日も浜松から大阪まで歩いてきました。やったぜ。)

「歩いてる途中何やってんの?」
「音楽を聴くか、何か考えているか、しりとりをしている。」
「えぇ…(ドン引き)」
というやり取りに大抵なります。(憤怒)

f:id:frasco5936:20170614185016j:image
「じゃあ、何を考えてたの?」と聞かれて、ちゃんと答えることが出来なかったので、今ここでグダグダと書いていくことにします。

※考えていたことをそのまま文に起こしていたり、謎の「誰か」に向けて書いているので、読むと回りくどくて仕方ないとは思いますが、
「コイツ…こんなこと考えてんのか…」
と私の頭を覗き見るつもりでサラッと流して下さい。3回くらいに分けて投稿します。


1.冒険を、しよう。
なぜかゲームのキャッチコピーのようなタイトルになってしまいましたが、皆さんが最後に「冒険」したのはいつでしょうか。大人になればきっと私のように時間を取って旅をする、なんて冒険はなかなかできないでしょうが、「危ない橋を渡る」そういう意味の冒険なら、割と思い出せるんじゃないでしょうか。

 

一般的にリスクを取らなければならないシーンというのは忌避されます。だからこそ自分で自分を追い詰める、そんな機会が必要なのではないか。危ない橋を渡ってこそ、次の危ない橋を乗り越える糧になると思います。

 

長い目で見るとリスクを取らない方がリスクになる、なんてことは多分自分では気付けません。大体、壁にぶち当たった時、壁しか大抵見れませんし。それが今まで逃げてきた「壁」なら尚更対処法なんて分かりません。

だから、実生活に影響のでないレベルなら、冒険をしてリスクに食ってかかった方が、結果的にリスクに怯えずに済むかもしれません。

 

日常的に人はリスクのためにリスクを犯しています。
例えば、普通に生活してれば、スポーツで汗なんてかかなくても余裕で生活出来るのですから、意図していないだけで身体に負荷をかけている。そういうリスクを犯しています。でも実はそれ(スポーツをすること)が健康的であるとも言える。そういう意味ではこの旅も、スポーツも、勉強も、仕事も、どんなことも命に負荷をかけたり、時間を消費する行動です。

 

人生において、死ぬまでトータルで考えて、疲労感や怪我、苦労を軽減したいなら、トレーニングや鍛錬をしなければいけません。

 

そしてトレーニングもまた、命に負荷をかける行動です。早いか遅いか、それだけの違いです。当然、歳を取れば冒険なんて出来るわけもないですから、早くからリスクを背負っていくような冒険をするべきだと私は考えます。

 

私の徒歩旅は、簡潔に言えば1人きりの旅で、いつものようには他人を頼れないことと、普段の自分がいかに恵まれた環境を「当たり前」だと思っているか、を思い知るものでした。

 

私にとって徒歩旅は
「周りに頼りっきりでないと生活出来ないリスク」
「当たり前でないことを、当たり前のように錯覚するリスク」
を軽減するための、大冒険でした。(おわり)