ウキアシタタズ

頑張れたことを頑張って書きます

考えてたこと②

2.実体験は「答え合わせ」

またも思考垂れ流しシリーズです。

 

世間の色んな事の大半は、本で読んだり、テレビで見たり、噂で聞いたり、想像したり、そんな事で知識として「知っている」ことが沢山ありました。今もそれらが脳みその殆どです。

 

普通、生活していくだけなら「知ってる」だけでも十分なんですよね。むしろ、一々経験して学んでるようでは人生時間が足りません。

そういう意味では、世間に蓄積されてきた知識(本とか)というのはとっても便利で、ある意味人間に時間を与えていると言ってもいいでしょう。

 

でも、知ってるだけでいいの?ってことも生活していると沢山あります。実体験もないのに全部知ったかのように話すのは、抵抗があります。それでコミュニケーションを取るとすれば、尚更無理があります。

それはどうしてでしょうか。多分、感覚を伴わないからです。感覚が伴わないというのは、実感がないということです。実感がわかない話を聞いても、実感がわきません。(当然)

 

話を本題に戻します。この徒歩旅は沢山の感覚に溢れたものでした。沢山歩くことがどれだけ大変で、大変なことの後の銭湯がどれだけ爽快で、目的地に着いた時の達成感がどんなものか、それらを実感する旅でした。

そして、私はそれらがどんなものか大方の想像が付いていました。それでも、想像だけで終わっていた「旅」と実感のある「旅」では、大いに違います。違いました。それこそ何となく「想像」できるはずです。

 

想像、というのはあたかも自分の経験を越えたものも脳内で描けるように感じますが、想像の質は実際はその個人の経験(実感の数)に依存します。
例えば、恋愛そのもののメカニズムを知っている「だけ」の人と、恋愛を重ねてきた人とでは重みが違います。
何かに困った時、知識が豊富な人よりも、経験豊富な人に何かを縋りたいと思うのもそのせいだと思います。

 

私が言いたいのは、
「想像なんかたかが知れてる」
ということです。想像をいくらしても、実感に敵うことは大方ありません。何かが予想外ですし、今までの実感の積み重ねこそが、想像を支えるものだからだと私は考えるからです。

 

だから、もしかするとここで話しているのも皆さんの想像を掻き立てるだけで、私の本当の実感をお伝えするのは難しいのかも知れません。

だからみなさんには、歩き旅というアホなことでなくてもいいので、「想像」だけで終わっていることを「実感」して欲しいと思います。それが私の考える……"答え合わせ"です。

(おわり)