ウキアシタタズ

頑張れたことを頑張って書きます

クリスマスとリア充の関係について

こんばんは、ふらすこです。クリスマスについて考えてるとどうしてもリア充の存在がまとわりついてくるので書きました。

はじめに

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きらきらだぁ!(無邪気)
今年も早いものでもう12月です。それはつまり、クリスマスが到来することを意味します。
今はSNSが普及して、イベントがあるごとに世間がどんな反応をしているのか、スマホ片手に見れるご時世です。正月やハロウィンはそこまで人々の反応に差はありませんが、クリスマスだけは何故か反応が極端に割れますよね。

素直に喜んでいる人もいる一方で、身内でも殺されたのかと言わんばかりに恨む人もいます。
中には「クリスマス」という事象そのものを認知出来なくなっているケースも少なくありません。また、こういうスレッドをよく見かけるようになりますが↓

【速報】2016年クリスマス中止のお知らせ

中止するものではありませんよね。(現実)

そんな賛否の別れるクリスマスですが、大衆はリア充か否か」という価値基準で持ってそれを良いか悪いかを判断しているのではないでしょうか。今回の記事ではそんな仮説を基に、クリスマスとリア充の関係性について考えていこうと思います。

リア充について

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「リアル生活が充実してる」が恐らく正しい名称でしょうが、現在ではその人のステータスとして語られることも多いでしょう。

普通に考えれば、現実が充実するための条件に「彼氏ないし彼女がいること」は十分条件であって、必要条件ではないと思うのですが、リア充であることを指摘される場合、クリスマス手前のときは、大半において恋愛関係の人間がいることが共通認識でしょう。

異性の存在の有無だけでない、本来の意味において、充実した生活を送っている「真のリア充という言葉も以前見かけたことがあります。こちらが正しいのだと私自身も思わなくはありませんが、世に使われる「リア充」と差別化するならば、こちらは「広義におけるリア充であると言えるでしょう。

そんなリア充という言葉ですが、なぜクリスマスと深い関わりがあるか、考えたことはありますか?クリスマスというイベントがリア充のためにある、そういった認識が日本において成されていると私は考えています。

クリスマスにおける「リア充」への認知

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巨人の星にて。これは…。 

クリスマスに限らず基本的に、季節の行事ははみんなのものです。誰かのものであったり、取ったり取られたりするものではなく、楽しもうとした人が楽しめるシステムになっています。
ハロウィンなんかは特にそうですよね。誰でもやろうと思えば仮装できるし、「合言葉」も使えます。
七五三や成人式というようものが反論として挙がるかもしれませんが、基本的に指定の年齢まで生きていれば誰でもイベントを通過点として享受できます。

クリスマスも同じように平等のはずですが、何故か「リア充」であることが強調されて物語られます。クリスマスで1人であることを「クリぼっち」と称するほどに「クリスマスとは誰かといるもの」という前提条件が見て取れます。

クリスマス前の女子大生の話を聞いても、
「どうしよ〜クリスマスまでに見つけなきゃ〜」
というような話を耳にします。文脈から鑑みて、クリスマスを共にする彼氏を探さなければならない、という見えない何かに強迫されているように見えます。

その点、リア充であればそんなことを心配する必要はないのでしょう。また、何かに焦っている彼女たちの存在の一方で、リア充であることを気にしない人たちもいます。

  • こども

サンタさんにプレゼントをもらえる最高にテンションのあがるイベントです。年始のお年玉もあり、もうワクワクで仕方ありません。リア充を本当の意味で認知していません。多分。

  • その親

ある意味で既にリア充ですね。そういった点から書く必要はなさそうですし、こどもを持つ親が

「あぁ^〜妻いるし俺はリア充〜」
なんて考えている人はいない…と思います。
自分がリア充であるかどうかはもう視野から抜け落ちています。それでいいと思いますが。

  • ひとりの人

人間は社会的動物です。こんな人は存在しませんが、クリスマスを誰かと過ごすということに価値の重きを置いていない孤独な人物であれば、リア充云々抜きにクリスマスなんて余裕でスルー出来るでしょう。

そもそもリア充かどうかを気にするのは、主に学生が多いと思います。そうなると今度は「なぜ学生はリア充でありたいのか」という疑問が浮かび上がります。機会があれば書いてみますが、今回はパス。

 

クリスマスとリア充の結びつき


さて、リア充を気にする側の話に戻そうと思います。なぜクリスマスはリア充に特化しているように見えてしまうのでしょうか。

  • 総合的にロマンチック

恋愛においてロマンチックなのは大事です。どう大事で、ロマンチックさがどう恋愛に作用するかは知りませんが、ロマンチックなのは恋愛に向いています。そう思いませんか?

イルミネーションは綺麗だし、気温の低さは互いの距離を縮めますし、プレゼントは相手への気持ちを伝える素敵な手段です。これらは全て、ロマンチック度の高い現象及び雰囲気だと思われます。そうした異性との様々なチャンスとしてクリスマスは恵まれたイベントであると言えるでしょう。

  • お金がまわる

下世話な話ですが、リア充が相手に素敵な思いをさせようとすればするほど、それに準ずるサービスを提供している企業が儲かります。
そして、誰に対しても特別な日にはちょっと良いものを…と思うのが世の常です。つまり店や会社にとっては商品を売るチャンスです。

バレンタインにも同じことか言えますが、経済の視点から見てもとってクリスマスは特別な日です。食事やイルミネーション、夜景などロマンチックな環境を提供し、リア充たちの成功を手伝うことが企業自身にとっての使命です。企業の多くがそのように取り組めば、社会の景色は変わります。クリスマスがリア充のためのように見えるのは、そうした影響もあるでしょう。

上記がクリスマスをリア充に特化して見させる理由だと思います。慣習とビジネスの繋がりは非常に強く、これからも「クリスマス」という景色を作っていくのでしょう。

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↑そしてその景色を作る人たちは…。

まとめ

フリー素材の「いらすとや」のせいで闇が見え隠れする内容にはなりましたが、こうして書き起こしてみると、文化や慣習がビジネスにとってどう影響しているのか、大学の授業を真面目に受けたくなってきますね(?)。リア充というテキトーそうに見える問題でも、ガンガン掘り下げて考えると、見え方も変わります。それだけで私にとっても、日本にとってもリア充は必要な存在なんだと確信しました。

同時に結論として、家族にとっても、企業にとっても日本の人口問題から見ても、1組のカップルから考えてもクリスマスは必要なのだと思います。

総評:くりすますの ちからって すげー!

 

以下番外編

(書いたものの気に食わない。しかし消すのも嫌なので、番外編にしました。さらっと読んで下さい。)

なぜリア充は爆発しなければならないのか

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リア充がよくリア充に対して当たり散らす時、「リア充爆発しろ」とよく耳にします。爆発することを願い、祈る。これがどういった気持ちなのか図りかねますが、強い怨恨を感じます。ただ最近では嫉妬だけの意味ではなく、「末永く幸せに…」という優しい願いを込めた爆発もあるようですが、爆発したら危ないし、死んじゃいますよね。それに少子化が進んでしまいます。

マジレスはさておいて、非リアにとって本当にリア充は爆発してほしいのか、それをパターンとして分けてみます。

  • 言葉として使いたいだけ

大抵このパターンです。本当に恨んでいるわけではなく、ネタとして「爆発しろ」と乱発しています。本当は友達もいるし、孤独を感じている訳でもありません。それはまぁ良しとして、場合によってはリア充A群→リア充B群に対して使うことも散見します。その馴れ合いこそ顰蹙を買っていいのでは?と思わずにはいられません。

  • ネタ半分、負の感情半分

ネタとして使われることの多い「爆発しろ」ですが、自虐ネタとして使ったつもりが自分に跳ね返ってくるケースもあります。内心では自分の非リア加減にうんざりしています。自虐ネタがネタとして機能していないです。見ていて切ない。

  • 純度の高い負の感情

爆発しろ、という生易しい表現では収まらない激しい憎悪がここにはあります。文章として描き起こせばそれは最早呪詛と区別できません。ゆえに見かけることもあまりありません。藁人形など高度な呪術を用いて実害を与えようとしています。過去に何かあったのでしょう。

 

こうして考えてみると、ネタとして使うことが大半で、そのなかで少数は傷付きつつ、さらにごく一部はSNSに浮上することもないまま、怨みだけを積み重ねているのではないでしょうか。(おわり)

 

好きな飲み物

好きなものについて聞かれて、パッとお話することが苦手なので書くことにしました。

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好きな飲み物

ルートビアドクターペッパーが好きです。他にもガラナ的な飲料を好んで摂取します。みんな不味いと言うけれど、私もはじめはそうでした。2度目以降なぜ不味いと思ったものを再度購入したかは覚えていませんが、2度目にチャレンジする私の姿勢があったからこそ今の自分がいるのだと思います。大袈裟なことがあろうか、いやそんなはずはない。(反語)

その理由

味は当然として、私はそういった飲み物の「在り方」に好感を持っています。不味いと言われようと、一部の狂気的なファンのために製造を続けるその姿勢。そして狂気的なファン以前に
「これは美味しい!売れる!」と判断を下した製品開発部のネジの抜け方というか、一貫性のある志が素晴らしい。

コーラや三ツ矢サイダー、カルピスなどいわゆるメジャーな飲み物も好きですし、普通に飲みます。私が気に食わないのは、それらを無条件に好む飲み手のいい加減さです。飲み手なんて言葉は今作りましたが、本当に好きな飲み物なら何ダースかまとめ買いしてみろよ!オォイ!

  

というのはさておき、今一番好きな飲みものは何かと言うと、現状ではルートビアです。このブログ一回目の投稿で少し触れましたが、通称飲むサロンパスです。絶対糖分が飽和水溶液的な状況になっている、殺人的な甘さも特徴です。あいつに出会ったのは…そうだな…。(遠い目)

 

邂逅

元々ジャンキーな感じは好きで、中学・高校時代はいつもドクペを飲んでいました。しかしタイムリープアニメの影響で飲んでいるのではないか?と噂されるのが非常に嫌で、私は次のブツを探し求めていました。高校の修学旅行では沖縄に行ったのですが、そこで見慣れない飲料を見つけます。

茶色の缶、「ビア」と書いているのに「これはお酒です」のマークが付いていない。不信感、疑惑、背徳、   そして少しの狂気を孕みながら、重く淀んだ空気がその"飲料"から漂っていました。

私はこれを見た時「こどもびいるの類だろう、面白いしネタとして買っていくか(お気楽)」そんな軽い気持ちでレジに持って行ったことが始まりでした。

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↑こちらはこどもびいる。調べてみるとこちらもいいセンスしてんねぇ!1度飲んでみては?

詳細:https://www.tomomasu.co.jp/kodomo/


実際飲んでみると、ビックリするくらい不味い。友人にも勧めましたが、先に私のリアクションを見たせいで誰も飲もうとしない。ルートビアを晒しものにしたのです。今にして思えば、何たる不遇!何たる暴挙!何たる醜悪!…今となっては申し訳無さでいっぱいです。

君と将来の話をしよう


私のこれから行きたい場所の一つとして、沖縄県にしかない「A&W沖縄」というお店があります。そこでは、

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現代社会におけるユートピアかと。なぜ沖縄しかないのかと。沖縄に対する羨望と嫉妬がこの私を満たしていくのを隠しきれません。
「さわやかのハンバーグ」を抱えて離さない静岡県にも同様の感情を有しています。

なので、今度の一人旅の候補として沖縄県は是非行ってみたい場所です。多分また沖縄内では徒歩だと思います。

まだまだ知らない飲料もありますし、ぜひ教えて欲しいです。すぐ挑みます。

チクチクしそうなアレ

「騎士」

になったことが皆さんにはおありでしょうか?恐らくファンタジー世界にでも住んでいなければほとんど無いはずです。

しかしですね…私にはありますよ。

何を隠そう、高校時代に私はフェンシング部員でしたから!

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フェンシングと言えば、マイナーなスポーツですが、結構前に太田雄貴選手がメダルを取りまして、知名度が上昇した剣を使ったあのスポーツです。

 

知名度が上がったと言ってもそれは非常に表面的なレベルであり、複雑なルールと装備を揃えなければいけないという敷居の高さから、

フェンシングを

「きちんと知っているor知らない」

という二極化が激しいスポーツでもあります。

(知ってる人は殆ど経験者じゃなかろうか。)

 

そのため、半端に知識を持つような、

いわゆる「にわか」というものは

ほとんど見たことがありません。

 

そんなマイナー感を払拭しきれていないスポーツですが、

フェンシングをやっていたことを話すと、

「大半の人に同じような質問をされる」経験のあるフェンサー少なくないはずです。(ちなみに私はそうです)

 

ですので今回の記事では、フェンシングに対するありがちな疑問をなるべく解消していこうと思います。

 ちなみに最も「フェンシング」として知られているのは「フルーレ」(後述します)だと思うので、それに則って説明します。

 質問①

「痛くないの?」

まずコレです。100%聞かれます。結論から言えば「人による」という感じです。

下手に突かれたり、手などを突かれると結構痛いです。逆にうまい人、というか実力差が半端ないとあんまり痛くない…むしろ「え?点取られたの?」と雑魚キャラのような状態になります。

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↑雑魚キャラのような状態。腕は斬られません。基本的に「突く」スポーツです。

 出典:http://omocoro.jp/kiji/91164/2/

 

万が一のこともあるので、全身タイツのようなあの格好の下にはプロテクターを付けて試合を行います。プロテクターはナイフでも貫通しないと言われていましたが、恩恵をあまり感じたことはありません。ただ装備しなければ試合に出れないので、意味は確実にあるのでしょう。

 

 質問②

「アレ、どうなってんの?」

かなりザックリな聞かれ方ですが、これもよく言われます。たぶん得点すると光る装置を見た上で、そのあたりのシステムや装備について聞きたいのだと思います。光る装置を見ての通り、このフェンシングというスポーツは得点を判定するために電気審判機を使っています。

 

とっても簡潔に言うと、

審判機(光る装置)→選手→剣

は全て繋がっています。

①剣の先はスイッチになっており、相手を突くことで、スイッチがONになります。

②スイッチが入ると、身につけているケーブルを通り、審判機まで伝わることでランプが光ります。

③このとき、相手の判定面を突いていれば審判機のランプは赤あるいは緑色で点きます。例えば、緑が自分の得点で赤が相手の得点だと考えていいです。逆もまた然り。

判定面を突けていなければ、黄色のランプが点きます。このランプはいわゆる「無効点」というやつです。

※全身白タイツのような格好をよく見ると、胴体の部分だけ銀色になっています。それが判定面です。そこ以外は突いても全て無効点。

 

こんな感じで点を取り合います。

他にルール理解の難度を高めている、「攻撃権」というフェンシング最大の要素がありますが、これは複雑過ぎるので軽く話します。

 

 攻撃権について

試合を見てもらえば分かるのですが、選手同士が同時に突き合って、ランプが両方点くことがままあります。

このときに審判が得点を判断するために使う要素、それが「攻撃権」です。

端的に言えば、同時にランプが点いた場合、攻撃権を所有しているプレイヤーに点数が入ります。ですので、フェンシングは攻撃権の奪い合いであるとも言えるでしょう。これが難しく、そして超面白い駆け引きの部分でもあります。

攻撃権は相手の攻撃を捌いて終わらせたり、相手の剣を叩いたりすることで、得ることが出来ます。試合では大体相手を追っている方に攻撃権があります。

オリンピック等ではものすごいスピードで攻撃権のやり取りが行われているので、未経験者は勿論、場合によっては経験者から見てもヤムチャ視点です。

意味

ヤムチャ視点とは、レベルが高すぎて理解できない、動きが速すぎて見えない状態。
主に、ニコニコ動画で使われる。動画の演奏や内容がすご過ぎて、一般の人にはできない、理解できない際に使う言葉。

出典:http://bosesound.blog133.fc2.com/blog-entry-949.html

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ここまでで既に「スポーツ何やってたの?」から始まるような質問に対する解答として、世間話の領域では不可能だと思います。

 

質問③

「なんかいくつか種類あるよね?」

何気にこの質問をされることが多いのですが、これを聞くと「あれ?意外と知られてるんだな」と驚かされます。おっしゃる通りで、三種類あります。フルーレ、エペ、サーブルという感じです。水泳で言えば背泳ぎとクロールとバタフライみたいなものだと思ってください。それくらい違います。

フルーレ

上記はこの競技に則って説明しました。最もフェンシングとしては日本で知られている競技のはずです。試合人口も日本では体感1番多いです。判定面は胴体。剣は割とグネグネ曲がります。そしてよく折れます。私の高校時代ではフルーレをベースとして練習し、そこから残りの2つどちらかの競技を選びました。

エペ

フルーレでは限られた判定面の話をしましたが、この競技に限っては身体全てが判定面です。どこ突いてもOK。そして唯一三種類の中で攻撃権が存在しません。つまり同時突きも両者の点数になります。ただ、点差が離れている状態で同時突きをし続ければそのままの点差で決着がつくので、それゆえ試合も慎重な進み方が多いです。剣は重くてでかい。

サーブル

1番カッコイイと思うんですけど(偏見)

こちらの判定面はフルーレの判定面(胴体)から腕と頭を増やした「上半身すべて」になります。

剣先にポイント(スイッチ)はなく、刀身全てが判定に用いられます。要は剣のどこかで上半身を掠らせでもすれば点数になります。こちらのみフェンシングで「斬る」という表現を使われることがあります。そして攻撃権に凄くシビアな気がします。そのため攻めてナンボの競技であり、エペやフルーレとは違う緊張感があります。場所にもよりますが、練習内容が最もイカしてます。ちなみに私は高校時代はフルーレからこちらにシフトしました。なので贔屓してます。

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サーブル剣。名前を聞いて一番イメージしやすいと思います。

多少説明の熱にブレがありましたが、あまり気にしません。

 

質問④

「いくらくらいすんの?」

こちらもよく聞かれることでしょうか。当然サッカーのように最悪ボールさえあれば裸でも出来るスポーツとは違い、色んなものを購入する必要があります。ぱっと身につけるものだけ考えても8つ位は必要です。うろ覚えですが、8万くらいした気がします。親に感謝。

 

身につけるもの

マスク(10000~40000円)

エセ宇宙飛行士みたいなマスクです。かなり丈夫で、基本的に買ったらずっと使えます。汗をかきまくるやつは判定面が錆びていたり、あまり人から借りたいものではありません。

また、競技別で種類が異なり、サーブルは頭も判定面であるためにどこも銀色です。フルーレは首元だけ判定面。

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サーブルのマスク。全部判定面です。

 

シルバージャケット(8000~35000円)

サーブルとフルーレのみ必要。銀の部分ってやつであり、ここまで散々話されている判定面はここになります。上記の説明のようにサーブルは腕まで覆える形になっています。フルーレは胴体のみです。これも人によっては錆びます。そうなると突かれても審判機が判定しないというチートアイテムになるので、試合を行う前にチェックが成されます。

 

(組み方によってピンキリ。最低10000円?)

剣を構成する部品全部話すと、自分でも説明出来ないくらい細かいのでざっくりと。

ブレード…刀身です。競技によって異なる。意外と消耗品です。

ガード…日本刀で言うところの「柄」でしょうか。これも競技によって形が違います。有り得ないくらい傷が付く箇所です。

ヒルト…いわゆる持ち手です。サーブルは形に差はありませんが、フルーレとエペはいくつか種類があるみたいです。一般的にはビスコンチとベルギアンが多いと思いますが、この辺はもう覚えなくていいです。(横暴)

ちなみにプレイヤーの個人差が一番出るパーツです。自分の手に馴染むように長さを調整したり、敢えて持ち手を傾けて剣を作ったり…。

まだまだありますが、割愛します。大方この三つを組み合わせて愛刀を作ります。

 

 ユニフォーム(26000~100000円程度)

白タイツと呼ばれるアレです。特筆することはあまりありません。改めて調べると値段差凄いですね…。普通上下セットで買います。

 

プロテクター(12000円程度)

対刺突防御装置。臭いやつはこれが臭すぎる。日常的にこれを着ている機会が皆無なのと、ナイフを振り回す通り魔と会う可能性の低さのダブルパンチで、対ナイフとしての機能を確かめる術はあまりない。ただ忘れると試合させてもらえません。

 

グローブ(2300~10000円程度)

臭いやつpart2。何かしらの革っぽいのでサイズはキツめが結局手に馴染みます。剣を持つ手だけ装着する。

 

コード(3000円程度)

メタルジャケットと剣と審判機を繋ぐ導線のようなものだと思っていて大丈夫です。かなりよく壊れる。なので予備を持つのが常識です。

 

靴とソックス(人によります)

実は指定されたことはありません。それぞれ好きなものを履いています。ただ、滑りやすいのは致命的なピンチを生むのでグリップの効くものが好まれます。フェンシング用もあるらしいです。見たことだけあります。

 

ここまでが個人で用意するものです。

以降は個人で買うようなものではなく、施設に置いてあるようなものです。

 

審判(100000円~1200000円)

色んな種類がありますが、基本構造は変わりません。ただ共通して高価であり、落とすと死ぬほど怒られます。(2敗)

 

リール(50000~70000円程度)

選手が持つ「コード」を延長するものだと思ってください。同様に導線だと思って(ry

 試合を見ると選手の腰あたりから何か伸びていますが、アレがこのリールです。呼び方が合ってるか、唯一不安です。

 

ピスト(80000~1000000円程度)

マットのような細長い試合場です。ゴムだったり鉄製のものだったり、グレードの違いがあります。超絶重いので、一々引っ張り出して練習試合をするようなことはなかったです。

 

ピストを除いてここまであれば試合が出来ます。ハードル高けぇな…。そもそもこれらを用意している体育館やホールが少なく、未経験者が思いつきで始めてみるような手軽さは正直皆無でしょう。

 

おわりに

ざーっと聞かれることとしては、こんな感じです。淡々と説明してはおりますが、私の知り合いには現役でフェンシング続けている友人もいるので、彼らからすればまだまだ至らない説明かもしれません。(保険)

ただ、何も知らない人が何も知らない人に説明する分には、ドヤ顔出来る量の情報量は載せたとは思いますので、機会があればお話してみて下さい。フェンサーとして騙ってもバレません。嘘ですやめてください。

 まだまだ説明出来ていないルールはありますが、冗長になるのもアレなのでここで止めておきます。

最初のハードルさえ超えられれば本当に面白いスポーツです。やってみて、とまではいいませんが、上記の知識を踏まえて(特に攻撃権)試合観戦をしてみるとイイと思います。

 

まとめ:サーブルが一番楽しい

 ※個人の感想です。

浜松まで歩いてみた②

前回の記事は気付いたことについてだったので、今回は具体的な物や場所について書きます。

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持ち物 

歩きなので重いと死ぬなと思い、最小限に抑える努力はしました。

※5日間で行く見込みは最初から経っていたので、そのつもりで荷物は用意しました。

 

  • 着るもの

コインランドリーぐらいあんだろとタカをくくっていたら意外と無いのが旅道中。3日分の着替えを上手くローテーションして臭くならないようにしました。多分臭く無かったはず…。

  • 寝袋

ぶっちゃけると別に私自身、旅に凄い慣れているわけではなく、道具も大して揃っていないので、人から借りました。洗って返しましょう。あと一番かさばるのもコレ。

最も履きなれているバイト用のスニーカーを使いました。今回靴ずれで死ぬほどダメージを受けたので、靴は大事。(当然)

  • リュック

Gregoryのやつです。多分40リッターくらいかな。これも部活の時から使ってるやつで、本格的に旅をする人からするとRPGの初期装備みたいなもんだと思います。寝るとき枕として使えたのは有能と言わざるを得ない。

  • 靴下

下調べしたら沢山持ってけと書いてあったのでかなり持っていきました。重ねて履くことで靴ずれの緩衝材に。大分痛みはマシになりました。ありがとうインターネッツ…。

  • モバイルバッテリー

5000mAのを持っていきましたが、割と不安のある容量でした。初心者からすると携帯死んだら終わるので、20000mAくらいの方が良い。

  • タオル

沢山必要で、気持ち多めで持ってって足りないくらいでした。(無計画)
温泉ばっか行ってたので仕方ないだろ!

  • ポンチョ(雨具)

カッコイイの買ったのに雨降んなかった…。でも降らなくていいです。本当に。

  • お金

2万くらい使いました。ただ、やっぱり大金持って野宿とか危険過ぎるので、使う分だけコンビニで引き出してました。手数料が一切かからない新生銀行は旅との相性が非常に良い。

  • iPodとイヤホン

これは…必需品じゃな?歩くだけのこの旅における最大のサポートアイテム。がんばれ!って感じの曲が次の1歩を進ませます。旅っぽいプレイリストを作るのも吉。
ちなみに私はカナル型イヤホンを使っていますが、イヤーピースはゴムっぽい奴にするのをオススメします。汗で凄いことになります。

写真とちょっとした地図の確認でよく使いました。他にはやばくなったら使う!という安心感は大きかったです。

 

迷ったけど持っていかなくて良かったもの

 

  • 一眼レフ

でかい、重い、(無くすのが)怖い。以上。
正直iPhoneあれば私は十分でした。

  • 水筒

「最悪ペットボトルでどうにでもなるだろ」と割り切ったのが功を奏しました。どうにでもなる旅で良かったです。

暇な時間くらいあるだろ。
ない。

くらいでしょうか、意外と少ない。

 

途中で買ったもの

 

靴ずれに使いました。あんまり傷口が広いと気休めにしかなりませんが、そうでなければ大きな効果を発揮します。

  • 大量の水

コンビニが見えれば大体買ってました。
量に関しては、「次のコンビニに出会える確率」との駆け引きでしたね。景観がど田舎であるほど大きい量のものを買いました。

  • 絆創膏

田舎は歩道がほとんど整備されておらず、木々が生い茂っており、通る度にどっか切ってたりします。なので割と重要だったかも。まぁ傷を放置するという、ワイルドさというかアバウトさも大事かもしれません。

 

立ち寄った施設

 

  • 銭湯

この旅におけるオアシス。1日40km歩いた疲れを吹っ飛ばすための施設であり、ここでは多少の贅沢を許される。贅沢といいつつコーヒー牛乳とアイス1本なので、歩き旅というのはモノの価値を上げるのにうってつけだと思います。

  • 公園

寝るために立ち寄った。最近のベンチは浮浪者対策が行き届いており、浮浪者でない私まで被害を被りました。比較的古い公園などは寝れるベンチが多い。不幸にも私の寝床は全てカーブしていたので、エビのような状態で睡眠を取る必要がありました。ちなみに野宿をした際は職質と犬に起こされた。わんわん吠えんな!

  • ネカフェ

充電もなくなり、めぼしい銭湯もなかった時に利用。シャワー付きで非常に良かったです。ただマンガやネットで遊んでいる暇はない。私はあまりネカフェを利用した事がなかったので新鮮だったが、隣の人が大音量でAVを流しながらカタカタ揺れているのは控えめに言って最悪だった…最悪…。

  • さわやか

最終日に利用。今回の旅におけるひとつの目標であり、ハンバーグを中心としたファミレスです。実は道中の静岡市にもあったけれども、最後に浜松まで歩いて食べて本当に良かったです。空腹は最高のスパイスとはいいますが、空腹抜きでも美味しいハンバーグでした。必ずまた行きます。

  • 敷居が高そうなバー

沼津にて利用。小綺麗にはしていたものの、どう見てもドレスコードとかではないので、入れないかなーと思っていたら、優しくOKして頂きました。カクテルって作り方でこんなに味違うんですね…。メニュー無いわ値段書いてないわでビビりながら飲んでましたが、将来は胸はってガンガン飲めるようになりたいです。

  • 誓いの鐘

足利山にて立ち寄りました。山小屋のお婆さんに写真を撮ってもらう代わりに、何かを何回か誓わされました。正直山を登っていてグロッキーでしたが、水と団子を出してもらったお婆さんの勧めを断る気分にはなれませんでした。

 

こんな感じです。
後悔こそないものの、道具や準備に関してはもっと出来たかなというところが実感としてあります。逆にここまでノープランというか、初心者でも達成出来てしまうので、一番大切なのは気合いとか根性あたりだと思います。

 

一番大切なもの:気合いとか根性

 

東京~静岡県浜松市まで歩いてみた

 

夏休みに5日間かけて浜松まで歩いてみたので記念すべき第1回の記事はそれについて書こうと思います。

 

1 達成感がすごい


これは誰でも容易に想像できるだろうが、達成感がすごい。今回の旅では1日に40kmちょっとを8時間歩き続けることを必要とされた。現代で多くの人が経験したことのない距離を歩き切ることは、自分を褒めずにはいられない。

 

この歩く旅そのものに「日本を知る!」「自分探しをする!」のような大義名分も意義もありはしない。ただ単純に、
「とても長い距離」を「自分の身一つ」で攻略するという要素だけで、いや単純だからこそ達成感があったのかもしれない。

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↑足利山。山小屋にいたお婆さんに撮って貰いました。気付かないうちに登山になってたのはもうあまり覚えていない。

 

2 ありがたみが増す

 

ありがちだが、やっていることがそれなりに苦行に近いため、日々の暮らしを支えているものに対して感謝度が増す。孤独は人の有り難みを思い出させるし、公園で寝ればベッドが恋しくなる上、普段のセキュリティの心強さを知る。歩いて5日間という時間は電車で2時間で到達できる距離だと知り、インフラが如何に時間と余裕を社会にもたらしているのかがよくわかる。

 

ここで言われれば当たり前のことばかりだが、
「知ってる」と「(身を持って)理解する」のとでは天と地の差だ。当然車や青春18きっぷを使った旅行も有意義な時間をもたらしてくれると思う。


ただ、「220kmもの距離ずっと地面と足がくっついていた」という"身一つ感"は徒歩以外に得られるとは思えないし、全ての苦労も喜びも全部自分のもの、という実感は全能感すら覚えさせる。…かもしれない。

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↑町田あたりからスタートしたので、こんな感じ。今見ると根性あるな、とは思う。

 

3 擬似的な自由を得る


何をもって自由かについて語る気はないが、この旅は自由だった。どこを歩いてもいいし、どこに寄ってもいい。最終的な目的さえ決まっていれば、という感覚はさながらオープンワールドのゲームのようだった。FALLOUTやウィッチャー、スカイリムだとかがこれにあたるが、感覚として近かったのはFALLOUTだった。単純に1番深くやり込んだゲームだったこともあるが、田舎道特有の廃ビルやガソリンスタンドが、いかにもな雰囲気を醸し出していた。別に静岡が世紀末だと言いたいわけではないので悪しからず。

 

「初期装備でマップのどこまでいけるか」みたいなワクワク感はこの旅にもあったし、金太郎由来の山だと知らずに登って、後から熊の脅威に気付いたり、公園で寝て起きたら隣に知らない人が寝ていたり、まさしく冒険だったと思う。

 

同時にオープンワールドのゲームの出来の良さにも感心する訳で、ゲームの楽しみ方を広げられた感がある。

 

また、1度大きな意味での「自由」を体感すると、自分の暮らしの様々なものが解き放たれるような気がする。凝り固まった生活をしていると、それが普通になってしまって、抜け出す発想すら湧かなくなることはままあるが、時々こうして「自由!」を体感出来ると生活にも色が出るのだろう。今後忘れないようにしたい感覚だ。

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↑大体見えている景色は青か緑。目に良さそう。

 

4 静岡県という場所を知る

 

今回はそのほとんどの距離が静岡で占められる旅であった。静岡県、横長過ぎである。静岡から沼津、そのままずっと行って磐田から浜松までを歩いたわけだが、感覚的には三県分くらいを歩いたような気がする。岩手だとか新潟はもっと長いのだろうが。時に新幹線の隣を歩くこともあって、新幹線に乗っていて見える「一瞬」がここまで長いのかと驚愕し、若干挫けることもあった。

 

旅の最中はなかなか苦しい状況が長く、なおかつその解決方法は歩くことしかないわけで、途中で気が狂ったように歌い出したり、田舎になぜか多いキリストからのメッセージで笑い続けたり、自分を悠々と抜かしていく車や電車に怒りを覚えたり、後から振り返るとあまり正気だったようには思えない。

 

しかし苦しいこととは楽しいことを増長させるもので、旅の途中寄った銭湯がさながら天国であったことは語らずとも想像できよう。温泉からモノホンの富士山が見える、という環境は非常に贅沢だ。休憩室で聞こえてくる静岡トークの地本感は癒しだったし、

「温泉玉子が出来上がりました〜」

というアナウンスで子供も老人足早に買いに行く姿に愛しさすら覚えた。端的に言えば静岡県を好きになったのだと思う。単純だが、それでいいのだ。

 

行った店が良かったのか、美味しいご飯にも巡り会えた。知る人ぞ知る「さわやか」というファミレスに行ったときは、コスパの良さと雰囲気に感動すら覚えた。ハンバーグ美味すぎ問題である。2度とそのへんのチェーン店でハンバーグを食べられない呪いを受けた。

 

本格的な沼津のバーにて、ドヤ顔で通ぶったカクテルを頼んで、「通ですね」とさらりと受け流してくれるバーテンのお兄さんの寛容さたるや。静岡で出会った物事や人々はなぜか私に優しかった気がする。どう考えても気のせいなのだろうが、私が静岡を好きになれたのだから静岡県にとっても得なはずだ。(?)

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↑「許せない!」というフレーズでずっと笑っていた。疲れていたんだと思う。

 

5「やればできる子」という自信

今日に蔓延る「やればできる子」という評価は、やってもいないことを「できるかもしれない」という可能性に賭けて、自分を正当化するための限りなく自分に優しい言葉だと思う。
別にそれが悪いとは思わないし、筆者はそうよく自分に言い聞かせている。ただ、今回の旅で気づいたことは自戒も込めてここに記そうと思う。

 

この言葉、本来なら「やってないから分からない」が正しい答えだ。以前出来ていたことが出来なくなっていればそれは「今現在〇〇が出来ない奴」という事実に過ぎない。基本的にこれからやることというのは未知であり、実行してはじめて自分が「できる子」かどうかが判明する。だからこそ、四の五の言わずに「やる」必要がある。徒歩旅に限って言えば自分は「やった」と断言できるし「出来た」という結果もハッキリした。

 

この旅の話をすると大抵は「なぜ徒歩で?」という至極当然な質問をぶつけてくれる。
確かに徒歩旅は自分にとって無茶な領域だった。すなわち「できるか分からない」未知の世界だった。だからこそ実行に移したのだ。
今までで言えば電車旅をやった。ヒッチハイクもなんとかできた。そして今回は歩き切った。

 

そうすると自分が意外と「できる子」なんだと自認する。誰に伝えるわけでもなく(この文では伝えてしまったが)、自分が出来たという感覚を持つことは何だか誇らしいことのように思う。実際に「やった」からこそ生まれる、中身のある自信は、次の大きな壁に立ち向かうための糧になる…かもしれない。


本当の意味での「やればできる子」という自信がここではじめて生まれるんじゃないだろうか。

 

※ここからあんまり旅の話ではないです。
(旅の途中で考えていたこと)


6 自分のことを知れる

社会は便利なもので溢れたし、大学生というか若者はその利便性を最も享受している人種だろう。みんなスマホを持っているし、活用する。
それに加えて同じようなタイミングで就活なりイベントが起こり、「人生における壁」は定型化されつつある。そうなってくると「ギリギリ」というもののレベルが個人差のないものになる。超個人的な見解でいえば、大体の大学生の行動の限界はせいぜい「ヒッチハイク」止まりじゃないだろうか。あと留学とか。


悩みのレベルにしたって同じだ、恋愛かバイトか就活か、そんなもんだろう。私もそうだ。

「おい!一緒にしてんじゃねーよハゲ!」
と思う方がいらっしゃる。どうか怒らないで頂きたい。そして私はそう思う人に賛同したい。

「一緒にされたくない」欲は周りの他人よりあるつもりだし、そうでなければこんな奇行には走らないわけだが、振り返ってみればこの旅は他人と違うことを高らかに叫ぶためのものだったのかもしれない。

 

そう聞くと、なんだか情けないし、
人と同じでいいじゃん!と思う方はそれでいいと本気で思う。なぜなら悩み得ないからだ。
問題だと認識できないことは問題にならない。
これほど幸せなことはない。

 

ただ悲しいことに多くの人が個性を探しながら、誰かとの相違を模索しながら悩んでいる。

学生の身分なのも踏まえて、人との違いという観点において「就活」は非常に繊細な問題だと感じる。例えば、面接やESでは「言葉」を使わなければならない。

つまり「言葉」という枠組みの中でしか自分を表せないし、人事担当の評価の基準も当然そこに依存する。同じようなストーリー、ないし自己PRの"表現"を用いている人同士でも、その背景が全く同じであることは皆無だ。そのように、本当は差があるのに、パッと見が同じであるために個性がないと思われてしまう。現状としてはその後に面接で「個人差」を作っていくのだろうが。

 

「だから派手なことをして『人と違う』アピールしろってこと?」というような話の流れになりがちだが、ここで私が伝えたいのは、特異な行動そのものではなく、人と違うことをすることで、新しい自分の価値に気づくことに意味があるということだ。

 

経験は自分を測るためのモノサシだと思う。
何かを体験してどう思ったのか、どう感じたのかを掘り下げて考えてみると、自分の価値観や性質への認識が改められることがある。自分を測り直してくれるといってもいい。

 

「自分はこういう経験をするとこう思うんだな」という認識の蓄積は、自分を説明するための最適な手段として用いられる。
どんな些細なことでもいい、例えば誰かの財布が落ちていてそれをどうするか、という経験はその人の倫理観を物語らせるし、夏休みに何をしたのかということだけでもその人の趣味や嗜好、価値観を説明するには十分な要素になる。

 

新しいことをすると、新しい価値観が見えてくる。人と違うことをすれば、人と違う目線で自分の価値観が表れる。

「私には何もないし…」というテンプレートが幾度となく学生間で繰り返されているだろうが、それは単純に「測り不足」なだけだ。自分の身の回りに起きた経験を振り返ってみれば、いくらでも人と違う所は見つかる。


当然、手持ちの材料(経験)でもヒントはいくらでもあるが、画一的なものから離れる手段として、ある種の突飛なことへのチャレンジはオススメしたい。

そもそも所詮は学生だし、余程特別でなければどんぐりの背比べだ。大体20数年分の経験を超えることはないし、能力差もそこまで大きくないと思う。


ただ、それらに差がつくのだとしたら、自分をどれだけ多角的に捉えられているかということだろう。どれだけ多様な経験をして、自分を多くのモノサシで測れているかが重要だ。

周りと同じような経験をしていては、感想や発見もその範疇を出ない。周りと同じようなモノサシでしか自分を測れないから、同じような言葉や表現に陥ってしまう。

他者と異なる行為をしたか、という点そのものがステータスになるのではなく、そこで得た経験が自分をどう「語らせるのか」のかが重要なんじゃなかろうか。

 

就活の話は自分でも耳が痛いので、深く言及はしない方がよさそうだ。なぜか長々と書いてしまったが、間違いなく上記の内容を考えられる機会があったことは、この旅の恩恵だろう。

…とかなり横暴にまとめたが、旅を終えて思うこととしては本音だ。現状振り返ってみて初めて気づくことばかりなのだから、やっぱり経験そのものより、「モノサシの獲得」に価値がある。

 

「自分探しとか(笑)」という声も聞こえないわけではないが、別に私は自分を探しに行ったわけではない。何となくやりたいことにチャレンジしたら、たまたま見つかっただけという感じが強い。そもそも「自分探し」なんて、明確に線引きできるものはないと思っている。理由としては、個人の行動は全て「自分という要素」が介在していて、どんなことをしたところで「自分を探す」チャンスは生まれてしまうからだ。要はそれを自覚してるかしてないか、そういう問題に過ぎない。

何にせよ、私としてはこの旅をやってみて良かったと思っている。終わりにつれて冗長になってしまったが、とりあえずこの場は収めようと思う。

 

総評: しずおかけん、だいすき!(無邪気)

 

このブログについて

はじめまして、ふらすこという者です。大学生です。

「私生活での色んなことを文字におこせる場所があれば良いなー」

と思い、はじめてみました。

 

書いていく上でのテーマのようなものはあまり決めていません。考えたことをビシッと書くかもしれませんし、あるいはなんとなくでゆるゆる書いていくかもしれません。

 

そんな釈然としないモノですが、人の自由帳を見るつもりで読んでもらえればいいかなと思います。

 

ちなみに好きなものはゲームと音楽とルートビアです。

ルートビアを知らない人は、ネットで買って…飲もう!(布教)

ルートビア 12缶セット

ルートビア 12缶セット

 

 誰もが一度は考える、「サロンパスを飲んでみたい」

そういった願いをかなえてくれるドリンクです。僕は大好きです

 

話が逸れましたが、

まずは継続して書いていくことが目標です。

10個記事書いたら褒美を自らに贈与しよう!(今思いついた)

 

ブログ超初心者で、拙い部分も多々あるとは思いますが、

どうぞよろしくお願いいたします。