ウキアシタタズ

頑張れたことを頑張って書きます

ワイパーと恥

 

人は恥ずかしいと感じた時、どんな反応をするのだろうか。

 


ウィーンウィーン

 


恥という感情で脈打つ心臓よりも早く、それは動いていたーーーー。

 

 

時はさかのぼる。
私が車に乗って間もない、とある晴れた日の話だ。緑と黄色の初心者マークを輝かせながら、運転することに慣れを感じ始めたあの頃。一日ドライブを終え、レンタカーを返すためにガソリンスタンドに入った時の話だ。

 


「オラーイオラーイ」

 

 

初心者マークを見たからなのか、はたまた最初から接客の良いスタッフだったのか、少々過保護なほどにスタッフは私を迎え入れてくれた。


給油の経験は何度もあったし、特別緊張するようなシーンではなかった。左にウィンカーを出し、スムーズに入っていく。


予定だった。

そのはずだった。

悲劇は始まる。

 


何を勘違いしたのか私の左手はワイパーを動かす。

 

「ウィーン」

 


おっと、間違えてしまった。

間違いというよりも、たまたま動いてしまったと言っていい。

若干のシュールさを内包しながらも、さらにガソリンスタンドの中に入っていこうとする。

これじゃ本当に初心者じゃないか。ワイパーなんか、さっさと止めよう。

 


左のレバーを戻す。

ウィーン。

止まらない。

これはおかしい。止まらない訳がないと確信していた私にとって、この展開は若干のパニックを生む。

 


「止まれよ!」

決して大きな声ではなかったが、止まらないワイパーに対して、言い聞かせようとする。

 


オラーイオラーイ

 


状況を分かっているのかいないのか、スタッフは私の心境を無視するように、指定の場所に案内を続けている。

 


ウィーン(天下無双)

 


こいつは…!この辺りからもう恥ずかしさが出てきた。パニックからレバーをガチャガチャといじったのが悪かった。その動きは加速し始める。

 


ウィーンウィーンウィーン(更なる高みへ)

 


止め処なく、そして無慈悲に。

土砂降りでの用途を想定されたその動きは、

本来の仕事ぶりとは反対に、空を切り続ける。雲ひとつない晴天で、高速で動き続けるワイパー。私は恥ずかしさから逃れるように、ひとまず冷静になるべきと、ブレーキを踏み込んだ。

 


突然の急停止。

 


だがワイパーは止まらない。

初心者丸出しである。

もうどうにでもなれ、ワイパーを高速移動させながら、スタッフの指示する位置につく。

 


「いらっしwwwゃいませw

本日はwwwどのようなwwご用でw」

 


彼女は笑っていた。ワイパーひとつ止められない私を。客と店員という立場でありながら、本来面白くても我慢すべきシーンでありながら、彼女は笑うことを止められなかった。

 

………。

 


この辺りからもうよく覚えていないが、

最終的に給油のためにエンジンを止めた時以外、ワイパーを止めることはできなかったと思う。もう二度とあのガソスタには行かない。

 

(おわり)

社会人とR-18

たまたまタイミングが被るから、タイトルも世間の空気を読んだ。と、読んで貰ってそう思って頂けることを願う。

4月1日に元号が決まり、同時に私自身の社会人としての生活も始まる。

 


令和、れいわ、と口に出す。

この響きには何故かもう慣れを感じる。別に元号そのものがダサいとか、かっこいいとか、そう考えるのはナンセンスだと思うのだが、慣れやすいという面で捉えれば、私個人的にはこの元号の第一印象は少なくとも悪いものではない。

 


また、アルファベットで表記すれば「R」になるわけで、18年後に生まれた子どもは赤子にしてR18になるのだと下らないことも思った。令和生まれが18歳になった時に、R-18という条件も満たすんだな、という小さな発見をここで共有しておきたい。

多分元号がイケてるか否かを考える輩よりナンセンスだと思う。

 


これから、平成生まれは「最新」でなくなるし、昭和生まれは「もっと前の時」になる。(失礼)自分に立ち返って考えると、何となく平成の人間であることが、世代で言えば新しい人、という認識をしていた。

 


しかし、この元号が変わることと、加えて社会人としてスタートすることも相まって、自分は一つ前の世代になったとストンと腑に落ちた。

 


世代にも色々種類があって、私はそもそも「ゆとり」とか「団塊」とかそういうもので人を括ることは嫌いな方ではある。ただまぁ、元号というレベルでみると、社会人になったタイミングであることも踏まえて、世代が変わった、という自認は丁度良かったのかもしれない。

 


社会人になって、後輩なり部下が出来て、

「おお、令和生まれか!」

という感想が出るのはこれから20数年後にはなるのだが、何故か早くこのセリフを口にしたいと思う、我ながら苛立つほど生意気で、野心(?)溢れる新卒の私であった。


(おわり)

退屈と毛

はじめに

私は電車を多く利用している。基本的には都内か、行っても神奈川なので、移動するエリアをあえて言葉にするなら「都会」なのだと思う。

中学から始まり、高校、大学、そして社会人と、私の移動手段は電車だった。電車といえば退屈、退屈といえば電車だ。音楽を聴くなり、本を読むなり、退屈を回避する手段は多岐に渡るが、多くの場合それは「外部からの持ち込み」であり、正当な退屈凌ぎの手段としては、100%縦に首を振れるとは言えない。大体60%くらいだから、現状だと斜めに首を振ることになる。薄気味悪い

「退屈凌ぎ」を公式なスポーツのように、ルールに則ったものとして扱われる世界線があるなら、多分「外部持ち込み可」と「持ち込み不可」があるし、「持ち込み不可」のプレイヤーの方が退屈凌ぎにかける想いは強そうだ。まぁそれは非常にどうでもいい。

 

退屈凌ぎ

改めて、電車の中での退屈凌ぎとは何か、ということを考える。


代表的な手段としては、寝る、景色、広告を見る、位だろうか。寝る、というのは良くない。それは退屈凌ぎではなく、退屈からの逃走である。遊戯王ならサレンダーだ。

景色に関しては、もう通学通勤で飽きてしまっている可能性があるから、数には入れにくい。


となると、変容と視覚的な情報を与えてくれるのは車内広告くらいしかなくなる。


そこまで考えて、顔を上げる。おや、脱毛の広告があるじゃないか。全身脱毛が3800円。しかもプレミアムと名乗っているらしく、生涯メンテナンスを保証している。これは‥安いんじゃないか。生涯ということだから、やろうと思えば産毛から始まって、毛根が朽ち果てるまで、毛にまつわるメンテナンスをしてくれるということだろう。これはすごい。すごくて安い。

ほかの広告に目をやっても、脱毛を勧めているところを見るに、世間的には毛が生えていないことを良しとする空気があるのかもしれない。

 


一方で「毛がない」ことは一般的に面白さの対象として物語られることを思い出す。

そうでなければ、世間を賑わせた、「このハゲーッ!」という発言から面白さというニュアンスが消え、ただただ残酷な発言として世間に取り沙汰されていたのではないか。

 

「毛のない人にあんなこというなんて…」

「なりたくてハゲた訳じゃないだろうに」

 

そういうフォローが行き交うだろう。この時点で既に面白い。ハゲを取り巻く空気が深刻なだけで面白いんだから、ハゲという概念はどう扱っても面白いと認識されている。世間とは実に残酷だ。

 


毛を熱望するハゲと、生涯かけて脱毛しようとする世間。生えどころが違うだけで、「毛」の価値は逆転するのだと、また一つ学んだ。

 

 

 


「まもなく~新宿ゥ~」

 


頃合いを見計らったように、車内のアナウンスが響く。意外と早かった、そう思った。


退屈は、凌げたかな。


(おわり)

男子校と臭い

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はじめに

私は男子校出身だ。それも半端なものではなく、中高一貫で男にまみれて生きてきた。右を見れば男、左を見ても男、女性という存在は肝の座った先生しかいなかった。

そのことを話すと、えーっ!という反応が来る。この「えーっ!」は純粋な驚きではなく、「えーっ!(臭そう)」なのを私は知っているから、女性の諸君は隠さなくていいよ。

そんな臭そうな生活を送った私だが、悪かったかと言われると、実はそうでもなかった。

むしろ今、その「臭い」が恋しくなっている。大学生になって、多くの人と出会い、話すようになると、当然ながら他の男子校出身の人間は出てくる。そこで気づいたのは、「楽しい男子校」とそうでない男子校があるらしい、ということだった。振り返ってみると、臭くて華のない私の男子校生活は、もれなく前者なのだと知った。

そんなことを思っていたのに、男子校という話題に触れていなかった。だから書いてみようと思う。

男子校あるある① ゲイだと思われる

男子校出身者だから、という非常に安易な思い込みをされることがかなり多い。閉ざされた空間、共にした時間、異性のいない環境、何も起こらないはずはなく…。

 


何も起こりません。(憤怒)

 


別に同性に恋心募らせようが、至極どうでもいい話だが、そんなことが日常茶飯事みたいな訳ない。何を反論しても「で、実は?」みたいな反応をするのはやめて欲しい。

もっと言えば「いやでもふらすこ君、ゲイ顔じゃん?」というのも即刻やめて頂きたい。もう男子校かどうかじゃなく、私の顔のせいじゃないか。

実際問題どうかというと、そういう人もいたんじゃないですか。という程度である。

例えば共学だったとしても、少数として存在はしたはず。例えばそれが全校生徒の1%だとして、男子校は、当然男子しかいないから(母数が多いから)数としては増えるが、内訳でいえば同じように1%なのである。多分。


男子校あるある② 女子高とくっつきがち

これは私の知ってる限りではYESだ。傷の舐め合いというか、同じ枠組みの監獄に入れられているからなのか、組み合わせとして、よくあるものだった。今となっては懐かしツール、あるいは黒歴史保存サイトとなってしまったmixiでよく馴れ合っていた。

所詮高校生なので2秒で別れたり、会った訳でもないのに肩書きだけカップル、というのも見え隠れしていたが、それでも男子校で「彼女がいる」というステータスはRPGで言えば「1ターン2回行動」くらい最強だった。

残念ながら、私は1ターン1回行動だったが。

キラーマシンじゃあるまいし。

 

男子校あるある③  なんか変

これは卒業してしばらくして気づいたことだが、「普通の人」という枠組みに収まらない人が多い。体感だけどね。

本来、思春期というのは周囲の目線を気にする(特に異性)ものだと思っている。誰が好きだとか、嫌いだとか、忙しいのが正常な思春期な訳だが、男子校にはそれが欠如している。普通に考えればドン引き必至の行動も、男基準で笑われて許される。

ドン引きされる、までとは行かずとも、割と「普通と違う」行動をしていても誰も気にしないし、止めないから、諸感覚がバグってるんだと私は思うし、多分自分もそのうちの1人だと思っている。

まとめると、「面白い」と「変態」の間にいる人が多い。


男子校あるある④  どう足掻いても臭い

冒頭でも触れたが、臭い。臭いシチュエーションが多いのが悪い。1限目で昼食を済ますハングリー精神溢れる彼らのせいで、永遠に食事の臭いが漂っている。

あるいは、体育の後になると、臭い。仕方ないのだが、体育着を持ち帰るのが面倒だからと、教室の窓で乾かすのは仕方なくない。先生が可哀想だろ。

加えていうと、高校生になって見せる相手も居ないくせに変に色気づいて、シーブリーズとかエイトフォーとか使いまくるのが、良くなかった。むせ返るほど甘い臭いが教室に充満した。あと食べ物こぼした時に床に撒くのやめような。


おわりに

もっと沢山あるのだが、こちらは男子校特有の現象というよりも、我が母校特有の、という面が強かったので記載することは避ける。

この記事を読んでも、恐らく良い印象は与えられてないだろう。それでも私はあの臭いを死ぬまで覚えてるだろうし、最高だったと断言し続ける。おお我が母校〜


(おわり)

今年の抱負

今週のお題「2019年の抱負」

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はじめに

あけましておめでとうございます。今年もしょうもないことをそれっぽく書いていきましょう。コンゴトモヨロシク。

2019年、新年早々書くことがないからと「今週のお題」に頼ってしまった。だがこのお題、「今週のお題」とわざわざ書かなくても、みんなの「お題」なり得るのではないだろうか。まぁ書くんだけど。

 

抱負

抱負、という言葉がある。意味としては

「抱負」

心の中に持っている計画・決意。 「将来の―を語る」

 ということになっている。決意という様な捉え方でいいだろう。

さて、抱負という言葉が頻繁に使われるのは、「何かが始まる」時である。その最たる瞬間である新年、このタイミングだろう。皆さんは何を決意し、心に刻み、覚悟をしたのだろうか。

 

見落とされた「決意」

「私の抱負について早く話せ?」いやいや、少し落ち着きたまえよ、諸君。そちらについてはまた後で触れるのだからね…。

抱負、という言葉は仰々しいし、義務感が漂っていて普段使う言葉としては、手に余る。だからこそ、新年のこのタイミングでこぞって人は使いたがる。でもやっぱり、手に余っちゃうのが「抱負」なのではないか。

そう思う理由をお話ししよう。その前に質問を一つ、いいかな?

 

「去年の抱負」は何でしたか。

 

この問いに答えられたのであれば、もうこの記事に意味はない。ブラウザバックするも良し、最後まで読んで私を嘲笑するのも良い。

さて、答えられなかった諸君。忘れてしまったのだろうか、自分の決意を。もしそうなのであれば、お笑いものだ。新年お決まりの「行事」と化した「今年の抱負コーナー」は、その抱負を実行する前に形骸化し、忘却の果てに置き去りになっている。そうだな、ひとつ、例え話をしようか。(遠い目)

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一月一日、元旦。親戚が集まって酒を飲み交わしていた。父も母もそこまで酒を飲める人ではなかったが、僕はザルといわれるくらいには缶ビールを開けていた。叔父はそんな姿を「オヤジの生き写し」だと豪快に笑って、えらく気に入ったようだった。

少し前に他界した祖父のことを僕は好きだったし、それを思い出す親戚たちの語り口からも、それとなく祖父への好意や尊敬を感じることができた。だからこそ、「生き写し」といわれたことが嬉しかったし、誇りに思えた。

「〇〇君ももう社会人だもんねぇ」

しみじみと叔母が口を開く。あんなに小さかったのに…。とかそんなことをひとりごちていて、重ねるように叔父がこちらにまなざしを向ける。

「お前も社会人か、今年の抱負はなんだ、抱負。」

叔父が大きな顔を赤らめながら、当然のように聞いてきた。注目させる意図はなかっただろうが、親戚全員の視線がこちらに移る。

 

「僕の今年の抱負はーーーーー。」

 

※フィクションです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どうせそんな所だろう。そして言ったことに若干の誇らしさと青臭さを感じて、鼻をこすっては、ハハ…と照れ臭そうに笑うのだ。(例えが長すぎる)

だから抱負という言葉は「持て余す」のだ。そんな見栄を張ったところで、何ヶ月も経たないうちに忘れてしまうのが、抱負であって、人の性なのだ。決意は綻んで、いつの間に霧散していく。

 

今年の抱負

抱負を持ったところで、いつかは忘れ、また新たな始まりに刷新されていくことはこれでお分かり頂いたはずだ。

だからこそ私はこんな抱負を掲げようと思う。

 

 

「抱負があることを忘れない」

 

 

何を言ってるんだ、と思うかもしれない。確かに、そこに抱負としての実態は存在しない。抱負めがけて邁進する訳でもなく、成長もない。

だが考えて欲しい、どうせ忘れる抱負なら、最初から無いのと同然だということを。だからこそ、せめて抱負を覚えていようという気概だけは、決意だけは固くいさせて欲しい。

「去年の抱負は何だったの?」という問いに、来年の今頃、私は胸を張って言える。

 

「抱負が…あったんだ。確かにここに。」

 

それだけは、覚えている。

 

 

 

 

...忘れてるのと大差ないね。

(おわり)

 

 

 

年末とセット

年末だ。二十数回目の年末が来た。夏や冬、春や誕生日と同じだけ、生きてれば人には年末が来る。

年の瀬に溜まったものを精算するように、世の中はせわしなくなる。冬にこたつが合うように、夏に花火を見るように、年末とせわしなさはセットなのが、私の認識だ。

そしてそんな年末の空気が、私は割と好きである。昔はクリスマスやお年玉、冬休みと楽しいことで溢れるから、好きだった。

歳を取り、サンタクロースの正体を知った。お年玉をあげる側になった。それでもなお、この時期に愛着を持っている。

人によって年末の過ごし方はまちまちだろうが、「年末だから」で行動することというのは意外と多い。

例えば、大掃除なんかはいつでもやれるし、なんなら年末じゃなくてもやるべきだ。

それでも世間は「大掃除」を年末にベストだと考えていて、年末だからこそ、行動に移そうとする。

私が年末を好きでいるのは、そういう「セット」で日々を過ごせるところだ。だらだら過ごしがちな12月にメリハリを付けてくれるのが、「セット」の良さだ。

もしかすると、年末に大掃除をやるのは、年の瀬に溜まった人の怠惰を精算する、ちゃんとした「行事」なのかもしれない。

(おわり)

冬VS熱量

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はじめに

皆さん、冬ですね。今年も終わりが近づいて、来年も近づいています。

何ら特筆すべき事項が思い浮かばないから、前の記事みたいな事が起きるわけですが、今回は思い付かないなりに有意義な情報を発信出来ればと思います。

私の手持ちの情報で皆さんの豊穣たる知識欲を満たせるとは思っていませんが、冬の寒い通学や通勤を少しでも良くできれば幸いです。

テーマは冬…と言いたいところですが、あんまり聞いてなかったので、単純に好きなバンドと好きな曲を勧めるだけのものにします。


サイダーガール/ベットルームアンドシープ

以前、「夏の曲が好きだよ」みたいなことをお伝えしましたが、夏!青春!って感じのロックと言えばサイダーガールです。爽やか過ぎてもうね、"聞くラムネ"ですよ。(今思いついた)楽曲に関して言えば、夜が舞台の曲なので、寝れない夜にベランダとかで聞いて欲しい。でも結構テンポは早い曲なので、寝れなくなるかもしれない。そんなこと知るか。


ヨルシカ/言って。

最近ばりくそ推してるバンドです。これも言わずもがな夏っぽい曲が多いです。個人的には歌詞と声とメロディがいいと思っています。要は全部好きなだけです。「言って。」という曲は歌詞への理解を深めていけば、また違った曲に聞こえるかもしれません。ヨルシカ…好きだァ…。

 

androp/Tokei

まぁ妥当に有名どころ?も出していきましょう。ボーカルギターを担当する内澤さんは、まぁこれが優しい曲を作るんですわ。最近皆さんの耳馴染みのある曲だと、Aimerの「カタオモイ」なんかも担当していたりします。話を元に戻して、Tokeiという曲について。バラードなんですね。これを聞いてくれた方々はみなさん大体リピーターになってくれると、思っています。ぐう名曲。


The Cheserasera/I hate lovesong

読みはけせらせら、です。多分私が推してるバンドでもそんなに知られてないアーティストではありますが、個人的にはハズレ曲がないくらいぶっ刺さるバンドです。もうどうしようもないけど、生きるしかねぇんだよ。的なセンチメンタルさと、力強さを感じます。

それで、この「I hate lovesong」というひねくれたようなタイトルも聞けば納得いくかと思います。「ふざけたラブソングが胸を打つこともなかった」という歌詞に痺れる。

要は失恋ソングな訳ですが、楽曲からの同情と言うよりも、等身大の人として「あーちきしょー!」と一緒に叫んでくれる、そんな曲だと思います。


Nakamura Emi/YAMABIKO

女性ボーカルでも本当にカッコイイと思わせるバンドやミュージシャンはいます。私としては東京事変あるいは椎名林檎がそれに当たるわけですが、またちょっと違う「生き様」みたいな点でうわ、カッコよ…。となるのがこのNakamura Emiです。曲であるYAMABIKOについては、括るとするなら応援ソングだと勝手に思ってるのですが、夢を追う人に似合う曲私的ランキングダントツ1位です。ランニングとかトレーニングに100%合う曲。これはマジ。

 


おわりに

正直書き始めたら止まらなくて、(全然書ききれていない)熱量のこもった感じになりましたが、結局音楽は好みの部分が大きいので、刺さらなければそれはそれでいいと思っています。でも、これは「良い」と思う曲やバンドがひとつでもあれば、最高です。Apple Musicのみですが、プレイリストを作っておこうと思いますので、良ければ聞いてみて下さい。

(おわり)

 

 

プレイリスト

‎ふらすこの「ウキアシタタズ」をApple Musicで