ウキアシタタズ

頑張れたことを頑張って書きます

花か団子か

今週のお題「お花見」

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今週のお題

なんて機能を知っていながら今まで取り扱わなかったのは、なぜか少し恥ずかしさがあったからだ。これからは気が向いたら書きます。

前書いた「ひなあられと個性」もその時のお題にちなんでのものだ。間に合わなかったけど。

frasco5936.hatenablog.com

 

「花見」というイベント

花見を「花を見る」イベントとして享受している人間がいるのだろうか。

結局はアウトドア成分を多量に含む飲酒の場だけでしかないのではないだろうか。

 

何時間も前から花見の席をキープするために派遣される部下がいる。

それを毎年恒例のイベントとして放送するテレビがある。

そして花が散るころ、ゴミ問題が露見して、それをボランティアで拾う若者が現れる。

 

私から見て、花見というコンテンツは直接桜を見て風情を味わうものではない。

テレビやニュースを通して映る「桜」と花見が引き起こす定期的な諸問題を予測し、それが現実に起こることを観察し、悦に浸るだけのものだ。

 

…というは流石に冗談だ。これではシニカルを通り越してイタい奴だ。

 

「花より団子」、花見界を席巻

一方で、花見というコンテンツは本来の在り方との乖離が著しいと思う。

冒頭でも述べたが、「花より団子」が当たり前になりすぎてはいないだろうか。

「花より団子」が言葉、あるいは慣用句として成立するのは、

「花派」と「花より団子派」が微妙にせめぎ合っているからであり、

花派の「飯ばっか食べてんじゃねーよ!」というツッコミは団子派に対して行われている。

あくまで想像上の話だが。

※見た目よりも実利を取る…という意味の「花より団子」ではなく、言葉通りの「花より団子」について書いています。ややこしい。

 

花見≠花見という状況

ではこれが「花見」というイベントの形骸化、すなわち基本的なスタンスとして

「花見≠花見」であり、桜を見るよりも、飲んだり食べたりが当たり前な「100%団子派」という状態になった時、桜はどんな顔をするんでしょうね。(知らねぇよ)

 

時間が経つごとに言葉やイベントの意味が変わっていくのは運命だと思うが、花より団子という言葉は今、他人に言うものではなくなっている。大前提だからだ。花より団子であることが当たり前になっている。

むしろ盛り上がっているのに、桜を見上げて「桜…思い出しちゃうな…ハハ…」

なんて言おうものなら、そいつは来年の春には咲くこともなく散っているだろう。

 

いま、ツッコミとしての「花より団子」は幕を閉じつつある。そして団子派100%の時代が始まろうとしている。まさに行事と言葉の関係性が問われる一例だろう。

変わりつつある季節に、これから出会う「花より団子」の意味に想いを馳せる…。

春風を感じながら、そんなことを考えてみるのもオツかもしれませんね!

(PV数を稼ぎがちなブログの終わらせ方の模倣)

 

おわりに

「花より団子」そんな言葉のアヤを取るようで申し訳ないが、こんなことしか花見について思うことがなかったので許してほしい。

加えて、今年の花見がどうなるかは知らないが、席をキープするためだけに派遣される部下や後輩がいたなら、どうか皆さん優しくしてあげてください。柿の種あげるとか。

(おわり)

ひなあられと個性

みなさんはひなあられを喰ったことがあるでしょうか。多分わざわざ「喰う」と書いているのでまた面倒な意味合いで書いていると想像したあなたは、失礼で、加えて正しいと言えるのでアール。(脈絡のないキャラ付け)

 

ひなあられというのは、
雛霰(ひなあられ)とは、桃の節句(3月3日)である雛祭りに供えられる節句菓子であり、和菓子(あられ)の一種。
菓子に付けられる白色は雪、緑色は木々の芽、桃色は生命を表している。

 

らしい。地域によって形なり味に差があるみたいだが、私は関東に住んでいるので、

 

うるち米の乾飯(炊くか蒸した後に十分乾燥させたもの)や豆を炒ったものに砂糖がけして甘味を付けている。桃色・緑色などの色を付ける場合、あられに着色するか、色付きの砂糖をあられにかける。

 

…ものを前提とする。

こういうどうでもいい説明はウィキペディアに任せるのが一番だ。

そして、今のひな祭りとは女の子のためにあるもので、私のような成人男性のためにあるものではない。女でもなければ、「子」がつくような年齢でもない。

そんなひな祭りとはかけ離れた状況の人間に、ひなあられを食べる資格はあるだろうか。恐らくない。そして、ひなあられを貪るように食べる、すなわち「喰う」ことを行った人間はいるか、恐らく女の子にはない。

つまり何がいいたいのか、私は世界的に見ても稀有な存在なのではないか、そういう主張だ。

だからなんだよ。という話ではあるのだが、
自分が珍しいことをしたら人に自慢したくなるのは人の性であろう?

私は世にも珍しい、ひなあられを食欲のままに貪り、本来の行事の在り方に反旗を翻し、ひなあられのニーズに逆らった、男なのだ。

私はとりあえず、唯一無二になりたいのだ。
そして、こんな下らないことでしか、個性をを見せつけることを出来ないことも知った。

そんなことをひなあられは教えてくれた。
そんなに美味しくもないくせに。
(おわり)

 

ここまでを振り返る。

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実はこの記事含め、20本目になります。

時期が空いたり、連投したりで、相変わらず更新ペースは滅茶苦茶ですが、ここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございます。

ということで、ここまで書いてきたものを振り返っていこうかなと思います。

とは言っても、20本全部振り返っている暇も気力もないので、とりあえず気に入っているもの三本ピックアップしていこうと思います。 

 

3位 「穴を掘ったよ」

これは…記事として気に入っている、というよりも思い出として気に入っている部分が強いですね。私は妄想空想世界を文字に起こせるほど器用ではないので、どの話も純度100%のノンフィクションでお送りしてます。例外なく、この冗談みたいなタイトルも冗談ではなく、本当に海岸の砂浜に2メートルくらいの穴を掘りました。

表現としては穴掘りをした仲間たちのことを「イカれた奴らを紹介するぜ!」的なノリになっているのが気に入っています。後半のくそ真面目な部分は正直あまり面白くないので無視しましょう。

frasco5936.hatenablog.com

 

 

2位 「初夢」

私の書いている記事がノンフィクションな事を前提に、成り立っているといってもいい記事です。ほとんどが「~である。」「~です。」という書き方でやっていて、この記事のように物語のように進むのは稀です。なんでそんなことをしたのかといえば、思い付きでしかなく、その割には読みやすくできたので気に入っています。タイトル通り夢の話なんですが、それなりに夢特有の支離滅裂感だとか、流れに身を任せる感もリアルに書け…た気がします。いやリアルなんですが。

frasco5936.hatenablog.com

 

 

1位 「チクチクしそうなアレ」

回りくどいタイトルですが、フェンシングの話です。これは自分の特徴がいい方向に向いた記事だな~なんて思ってます。「人がしない話をしたい」というコンセプトの一方で「分かる奴だけに分かればいい」というのではなく「だれが読んでも何となくは分かる」ことの両立を目指しました。そもそもニッチなジャンルなんで、Wikipediaとかでみてもそんな面白くないし、分かりずらい。そういう意味ではフランクに、一種の雑学としてサクッと話せるような情報の詰め方にしました。東京オリンピックなんかの手前で読んでもらうのが理想です。

frasco5936.hatenablog.com

 

…と、こんな感じですが、1位が正直ダントツで、他2つのテンションは選外とあまり変わらないので、あくまで目安として読んでみて下さい。

 

 

「ウキアシタタズ」で思ったこと

「クソほどどうでもいいことを有益そうに書く」というのが全体を通しての所感です。

正直何か得をしようとして見るべきものは少なく、暇つぶしに鼻でもほじりながら読むのが正解です。いや正解とかないんだけどね。

読んでくれる方が、どういう風に記事にアクセスしたかは簡単に見ることが出来るのですが、「磐田から浜松 徒歩」で検索している人とかいるんですよ。本当に申し訳ない。なぜなら私が紹介しているのは東京から浜松についてだからです。距離感もノウハウも違う。しかも読んでみたら青臭い持論まで掲げてくるときた!くぁ~っ、こいつはたまらねぇや!(誰?)

時々知り合いから「あまり意味がわからなかった」という感想をいただきます。確かに、文量も多いし、書き方もなんだか堅苦しいし、「きっと彼は何か重大なことを伝えようとしてるんだ」優しい方はそう思うかもしれません。だから「意味」を探ってしまう。実際に「意味があるのか」は、ルートビアとかドクターペッパーとかを飲んでみれば分かるかもしれません。(乱雑なまとめ)

 

※文字数振り返り用

文字数
479      このブログについて
5146    東京から浜松まで歩いた話
2392    東京から浜松まで歩いた話
4989     チクチクしそうなアレ
1379       好きな飲み物
3664  クリスマスとリア充の関係について
3010       穴を掘ったよ
2683        バイト
2172    シンガポール、行きました。
2810    シンガポール、行きました。
1262    歩いてる途中考えてたこと
1059    歩いてる途中考えてたこと
3004    歩いてる途中考えてたこと
1513        流行
3769       結論、愚痴。
1026        初夢
1507   猫がいる日常を思い描く私の日常
2228   バタービールという存在
1854   アーティストの(笑)に憧れる


合計19本 50801文字  平均2673.7文字

 

(おわり)

 

アーティストの(笑)に憧れる

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ーーーでは、そういった想いで今も活動を?

ふらすこ:そうですね、僕たちは単純に思っている事を伝えていきたくて。その方法が音楽だったって話ですが(笑)

 

こういうやり取りにおける(笑)の格好良さと青さを兼ね備えている感は何なのだろうか。読んでるだけなのに、自分までふわりと浮いたような感じになってしまう。
今更だが、このブログはウキアシタタズな訳で、浮いてしまうというのは禁忌である。

だがしかし、この(笑)にはそれだけの浮力がある。負けたくないので分析する。

一般的にも(笑)は使われている。私は文を書くと本当にぶっきらぼうになるので、内情を簡易的に伝えられるこの言葉に、良く頼るのだが、以前「おっさんくさい」という言葉に酷く傷付いたので、いまは()をつけない「そうだね笑」のような形に落ち着いた。おっさんくさいって何だよ。

多少ネットスラングが通る相手なら、「www」を用いる訳だがwwwこれもTPOと量を間違えるとwww煽りとしてwwww認識してされるのでwwwwそちらにも留意しているwwww

…百聞は一見に如かずとはよく言ったものである。

 

本題に戻る。どんな形であれ笑っている事を伝えるために語尾に(笑)的なニュアンスを含むものをつけるわけだが、それにはいろんなシーンがあるだろう。

 

一般人の(笑)について
まず第一に文章だけではキツい表現になりがちな時に用いられる。
キツい、というのはそのまま手厳しい、という事だ。

「あれやっといて」
よりは
「あれやっといて(笑)」

の方が良さそうだろう、"アレ"は最早やらなくていいかもしれない、そんな緩さを出せる。いや、やれよ。

あとは、自意識から来るキツさを軽減する用途もある。簡単な話、照れ隠しである。
「俺お前のこと気に入ってるからさ」というセンテンスなんかは、既に書いていて恥ずかしい訳だが、(笑)を付けることで何となくシリアスな感じを避けれるのではないかと期待してしまう。

あと、思いつくのは単純に笑う時くらいだろうか。文章のあとに(笑)を付けると、意味が他にも付与され過ぎて分かりにくくなる。
そのため、単体で(笑)を使うことになる。

「犬のウンコ踏んだ(面白い発言)」
「(笑)」

のような形で、だ。…自分の面白さのレベルが酷く稚拙だと疑われそうなのは、今回は看過しようと思う。

 

ではアーティスト及び著名人の使う(笑)とはどういう意味合いがあるのだろうか。

実はここまで書いていて結論は出ている。
一般人と変わらないということだ。

例えば、総理大臣や官僚なんかが、
「景気回復のために給料全体を引き上げます(笑)」
なんて言った時には与野党問わず国民からも非難を受けることは容易に予想できるし、真剣味を感じない。一億総バッシング社会である。

下らないことを言っている場合ではない。
ただ、そのような人達が(笑)を許されないのは、公人として照れることも誤魔化すことも禁忌だからだ。

そういう意味ではアーティストは一般人の延長線に立っている。だからこそ、照れたり、へらへらしててもいいのである。

アーティストにはファンがいる。同じ一般人だが、同じステージではない。そんな微妙に近くて遠い彼らがヘラヘラしたり、「一般人らしさ」をさらけ出すことで、浮遊感は生み出される。

もうひとつ、基本的にアーティストは才能なり特別感を求められる。そんなことを私たち一般人はそれを求める。その代弁者たるインタビュアーもそうだ。
だから、彼らは答える。一般人だけど、自分の感性の深いところを、その背景を。

しかしやっぱり出てしまう。普段話すことではないから。羞恥が漏れる。自分の想いを吐ききったあと、耳が熱くなるのを感じてしまう。

 

ーーーでは、そういった想いで今も活動を?

「そうですね、僕たちは単純に思っている事を伝えていきたくて。その方法が音楽だったって話ですが。

って、こんな感じでいいですか?(笑)」

 

そんな風にインタビューは行われているのではないだろうか。だとすれば、それは凄く庶民的な感覚なのだと思う。そして、それを青いと笑ったり、私のように浮き足立ってしまうのは、結局受け手の問題でしかない。

私はこの記事を書いて、反省した。彼らもまた、私たちと同じ一般人なのであり、(笑)の中に生きる人なのである。

※それでも鼻につく(笑)を使うアーティストはいる。


でもやっぱり、(笑)をおじさん臭いと言うのは、納得がいかない。
(おわり)

バタービールという存在

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つい最近、USJ行ってきたので、その中で一番私が楽しみにしていたバタービールについて書こうと思う。

まずバタービールとはなんぞや、という方もいると思う。だから私はあの神聖な飲料について、足りない語彙力と、本物のアルコールによって失われつつある思考を用いつつ、美味しいと感じてもらう努力をこの記事に落とし込んでいこうと、意気込む。

ハリーポッターシリーズに出てくる、未成年でも飲める飲料だ。「こどもびいる」に近いスタンスではあるが、味は結構違う。

魔法学校で暮らす彼らの生活にある、お酒(ノンアルコール)という認識でいいと思う。

さてこれが美味か否か、という話だが、こればかりは否定のしようがなく美味しいと言わざるを得ない。不味いという人間はいない。甘過ぎるという声も聞こえないし、値段が高いなんて言う奴は許さない。

…というのは流石に魔法学校的ジョークだと思ってくれて構わない。
ただ、私が美味しいと思うのは事実で、馬鹿みたいにこれを褒める私が白い目で見られるのもまた、事実だ。

基本的に私がこのブログで書くのは、独りよがりで偏屈な妄言ばかりで、賛同を求めるものではないのは、何となく感じてもらっているだろう。

だが、このバタービールに関しては、まず飲んでから、各々深く考察し、友と議論を交わし、時には喧嘩もしたけれど、今ではそれも懐かしい…。あれから色々あったけど、あの日交わした盃(バタービール)は忘れない。
今日は飲もうか、乾杯(バタービール)。

そんな人になって欲しいと切に願う。

…意味不明だし、バタービールで喧嘩するような人間関係は構築したくない。

ともかく、不味そうだし飲むのやめよーぜ、というのだけは避けてほしいし、そうなるように、この記事は書く。
つまり、私のブログにおいて、他人に「こうして欲しい」を強要するモノを書くというのは滅多にないが、バタービールという品は、私をそう至らしめるのに十分な味わいと、存在の深みがあることを理解して欲しい。

 

優しい飲み物
こともびぃるにも共通することだが、バタービールはアルコールを模したノンアルコールである。未成年の時、大人がこぞって飲んでいたあの黄色い飲料を、口の周りに泡をつけて飲んでみたい。そういう「こどもの願望」を気分だけでも良いから体験させてくれるのが、バタービールであり、こどもの願いの象徴と言っても過言ではないだろう。

同時に、大人にとっても、ビールを飲んでみたいと思ったあの頃の想いを再現してくれるとも言える。

ーーそれなりに「おとな」になった。あの時みたいに、正直に笑ったり泣いたりしなくなった。感情が薄くなるたび、酒に頼ってしまう。「飲み足りないから飲んでんの?」脳内で繰り返されるコールが、また自分の気持ちを分からなくさせる。吐いて、飲んで、また吐いて、いつからこんなに、なっちゃったんだろうな。居酒屋の便器の前でうずくまる、午後11:30。

例えば(くどい)このような、アルコールに慣れてしまった私たちを嘲笑うでもなく、ただバタービールは、童心を蘇らせるためのトリガーとして、そこ(USJ)に君臨している。これを優しいと言わず、何と言うのだろうか。

しかしこれで終わらないのがバタービールをより神秘の飲み物たらしめる所以だ。

 

価格などなかったのだ
確か前に買った時は600円くらいで、量は缶ジュース一個もない位だったので、割高であることは否めない。しかし、バタービールをオフィシャルな形で、かつ飲むのに相応しい空間で飲むことが出来ることも無視出来ない。

価値というのは不思議なもので、場所や空間、もっと言えばその人の気持ち次第で適正度は大きく変わる。

砂漠で干からびそうなら500円だろうが水を買うし、海なら塩水はタダじゃなければ気は済まない。(極論)

つまるところ、USJで飲むバタービールが600円なのは適正であり、上も下もないのだ。空気が無料であるように、バタービールは600円なのだ。

 

味について
甘いのは先程述べたが、実は二種類バタービールが存在するのはご存知だろうか。

冬限定なのか知らないが、ホットとアイスがあるのだ。しかし、単純に温度の問題だけではないことをここではお伝えする。

アイスについては、甘々なクリームと甘々な微炭酸が絶妙にマッチした甘党のための飲料に仕上がっている。まずはこれを飲んで欲しい。ごくごく飲むと喉が焼けるが、こまけぇことはいいんだよ(AA略)

※今更だけどAAとはアスキーアートのことで、略したのはあまりに有名なフレーズだったからである。

ホットについてだが、これはむしろアイスよりも飲みやすいかもしれない。基本的な味は変わらないが、炭酸がないことと、ジンジャーの風味が足されていることは見逃せない。

甘いものの、かすかに香るジンジャーが、辛味をアクセントとして至極の一品として、我々の舌を満足させる。
チャイラテとか飲み慣れてれば意外といけるので、こっちを頼むのも一考の余地がある。

というか両方飲め。

 

おわりに
好きなものを好きなように書き散らしたが、まだ私はこの神秘の飲み物を理解しきってはいない。私がその核心を理解しようとする時、それは神の領域への挑戦であり、神秘への冒涜になる。秘密が秘密足り得るのは、誰もそれ以上踏み込まないからだ。
知るのも、飲むのも、ちょっと物足りないくらいが丁度いいのだ。
(おわり)

猫がいる日常を思い描く私の日常

今、実家で「動物を飼おう」という潮流が生まれつつある。

犬か猫かといえば、犬派の私だが、猫を支持する私以外の家族3人に無視されるので、そのことについて口を開く気は無い。

ただ、「猫」を飼うことが、私にとって日常足りうるほど自然な存在であるか否か、家族の思惑とは関係無しに考え込んでしまう。

 

破壊と日常

私の親戚は猫を3匹飼っている。2匹はしっかり人の手で育っていて、1匹は野良が住み着いて…という形のわけだ。

どれも余所者(私)がいる間は大人しい。というよりも大人しいと親戚から伝えられると言い換えた方がいいかもしれない。

ポジティブに猫を捉えてくれ、そういう意味で「大人しさ」を主張されているように感じるのだが、言葉とは裏腹にガリガリに削られた壁を見る目は憂いに満ちている。

 

そんな私の親戚の姿を見ていると、家が壊される、そんな「非日常」を「猫のいる日常」として受け入れることは、私にはできそうにない。

 

気まぐれと踊る日常

猫は気まぐれ、というのは、犬が従順であるのと同じレベルで語られるし、大方異論はない。

気まぐれな彼らは、当然こちらの善意をひょいと避けて行くのだろうが、私はそれに耐えられるだろうか。耐えられないとどうなるのだろうか。

変な話だが、こんなひねくれた私が猫なんてひねくれた生き物を飼って、踊らされて、自分の"ねじれ"を真っ直ぐに伸ばされたのではかなわない。ひねくれ者は社会に一部でいい。いや、家庭に一人いれば十分だ。

 

無言と対話する日常

かといって、猫とのコミュニケーションを放棄する訳にはいかない。勝手な知見だが、猫の知能と人の知能を比べれば、恐らく大きな差があるだろう。そうであれば、尚更私は大人として彼らと向き合わなければならない。

私の話をしよう。私自身、子どもは好きだが、言葉も話せないような、いわゆる乳児との関わり方が分からない。分からない故に「子どもが苦手な可哀想なやつ」というレッテルがついてまわる。ある意味間違ってはいないので、改めてここでそれを否定することはしない。

注目してほしいのは、猫も言葉を持たない、ということだ。

動物好きが見るであろうバラエティ番組では、無邪気に振る舞う動物達に声を当てて、「人のように」動物達を振る舞わせるが、実際の動物達の心境とは異なるだろう。

あれは人のエゴだ。「こうあって欲しい」という人の願いを動物の所作という器に押し込めたに過ぎない。つまるところ、話す、あるいは人の意思を持ったかのようには動物は動いていないということだ。

その点に置いて、乳児と猫は類似している。話しても、伝わっているか分からないし、その返答も曖昧だ。「だぁだぁ」と「にゃあにゃあ」に差などない。

そんな相手を前に、私は言葉を紡ぐことが出来ない。息が詰まる。しかし一方で「話しかける」ことは求められる。「伝わっているかもしれない」という人のエゴに人である私が翻弄される。なんと皮肉なことだろうか。

……ここまでで、猫とコミュニケーションを取るという行為が私に取ってハードルが高い、ということだけ伝われば、それで良い。

 

それでも猫は日常化する

御託を並べ続けたが、私は最終的に「猫のいる日常」の一部になるし、こんな苦悩を抱えているとも知らず、猫は気まぐれに、自分の存在を日常に溶け込ませていく。

猫に絆されるのが怖いのだろうか、私には分からない。実際買ってみたらデレデレで、こんな文章は思い付かないのかもしれない。

そしてこんな私を猫は許すだろうか。身を委ねてくれるだろうか。今はまだ分からない。

 

…にゃんにゃん(萌えキャラ並感)

(おわり)

 

 

初夢

新年あけましておめでとうございます。(遅い)
今年もこんなチラシ裏の落書きのようなことを書いていきますが、よろしくお願いします。

もう腐るほど手垢着きまくりな内容ですが、初夢について今回は書いていこうと思います。
というのも、初夢について意識したことが今までなく、たまたまPCを起動したときに覚えていたので、書いてみようかな、というのが事の発端です。では。

 

私は、そんなに仲が良くないはずの三人と薄暗い空間の中、「その時」を待っていた。
睡眠との境目無く初夢の世界に放り込まれた私を除いて、だが。


「お前しかいないんだよ」ベースの彼は無責任に言葉を放る。どうすればいいか分からない状況の中で、不安な私を励ましてくれるのはありがたいが、ベースの君に突然のボーカル不在への助っ人を任されるほどの信頼関係を築けていただろうか。不安だ。

現状、分かっていることは、この三人とこのオーディションを勝ち抜かなければならないということだけだ。しかし、お世辞にも私の歌唱能力及び、スリーピースにおけるギター演奏能力は褒められたものではない。というよりも弾けない。何よりも不安を煽るのは、演目を知らされていないことだ。知っている曲ならともかく、何も知らされないでどうしろというのだ。

一方で、こんな不可解な状況を乗り越えようとする自分がいる事にも気付いてしまう。体育館のステージ裏で、「その時」を待つ三人の連帯感が、信頼関係どうのこうののプロセスをすっ飛ばして、高揚すら感じさせる。

一曲、一曲と演目が進んでいく。激しい演奏の合間の静寂が、いやに私の体を強張らせる。
その時、今まで話さなかったドラムの彼がポツリと呟く。
「絶対、成功させような」
「ああ」
なぜ、明確な返答を、相応しい形で、口走ってしまったのかは、分からない。だけど、私はこの三人で――――。
司会が私たちの名前を呼ぶ、ステージに上がり、視界が広がる。
スポットライトが眩しくて、観客は見えない。そして、これから歌う曲も分からない。

後ろを振り向いて彼らと目を合わせる。そして―――――――。

 

 


「歌います。『天体観測』」

 

 

 

目は、覚めた。
私は困ったときには天体観測を歌う。夢にしては有益な情報なんじゃないか。
今日は2018年1月1日。初夢の、あの二人と過ごしたステージ裏をまだ、覚えている。

 


しょうもないしオチもない。
(おわり)

天体観測 - Bing video